コスモス

 デートという名目で、気まぐれにただ車を走らせていた啓悟がおもむろにブレーキを踏んだ。緩やかに、優しく。車窓の向こうに、色とりどりのコスモスが揺れている。
 
「せっかくだから降ります?」
「いいね」
 
 狭い空間で二人でいるのも悪くはない。真っすぐ前を見て運転する、いかにも真面目ぶった啓悟をじっくり盗み見できたのは私にとってラッキーだった。そんな時間も楽しかったけれど。
 郊外の何の変哲もない、ちょっと田舎みじた――そして、所々崩れている国道を走らせながら、ホークスがちゃんと状況を見ていたことに私も気が付いていた。羽を伸ばしに来たんだから少しくらい見ない振りしたらいいのに、と思ったのは内緒。このコスモス畑でさえ、彼が来たいと思ったからではないかもしれない。
 
「コスモスが好き?」
「嫌いじゃないですよ」
「……言うと思った」
 
 ぽろっと漏れた隠しきれない私の微かなもやもやした感情を敏感に察知して、啓悟は肩を竦めながらシートベルトを外した。バックルを外す金音と、しゅるっと高速で巻き取られていく鋭さが、あんまりよろしくない精神状況に地味にクる。こういうもやもやは、ちょっとしたことですぐに大きくなるものだ。ベルトを外すことに躊躇って握りしめている内に、助手席のドアは外から開けられていた。
 
「ドーゾ。綺麗ですよ?」
「スマートですこと」
 
 彼が何か悪いことをした訳でもあるまいに、ストライキしたって仕方がない。ちょっとした厭味を吐いて、うやうやしく差し出された手を取った。
 指先から手の平まで接地した瞬間、そっと触れた硬い手が柔らかく包み込んでくれる。視線を少しだけ上げれば啓悟は笑っていて、ああかっこよくてたまらない。これで心揺れない女なんていない、なんて思った。負けを確信してる真っ最中の私の手は、ぎゅうっと握りしめられて、思わず彼を見上げていた。
 
「もうしませんよ、貴女以外」
 
 優しく引かれて地面に降り立った私の後ろで、ヒンジドアがバタンと音を立てて閉まった。
 
 
 

 
 下調べもしていない初めての場所とは思えない位、綺麗な場所だった。
 ピンクと白に、マゼンタに似た深くて濃い色がアクセントになっている。車を停めた道端で見たオレンジキバナも、また別の群生地なのかもしれない。
 アスファルトばかりの地面に慣れていると、土と草を踏んだ感覚が新鮮だ。一歩踏み出すと、頼りなくヒールがめり込んだ。
 
「こんな所があったんすねぇ」
「これだけ咲かせてると、その内観光客も増えそうだね」
 
 少し先で立ち止まっていた啓悟の真横に立つ。花に埋もれる啓悟は、似合っているようで似合っていない。すると、彼は突然屈んで自分の膝に顔を埋めた。
 
「あ~~っ、もう!」
 
 こういう意味の分からない行動は珍しい。急なことに驚いて、私も啓悟の隣にしゃがんだ。覗き込むと、腿と顔の間から締まりのない情けない表情が見えて更にびっくりしてしまった。
 
「何、どしたの?」
「似合ってないって思ってるんでしょ、どーせ。自分で分かってますって!」
「……ああ」
 
 私は彼のことを知っているからこそ違和感を覚えただけだった。彼に花束を持たせてCMでも流せば、さぞかし流行るだろう位には似合っているように見える。世間一般の人気ヒーロー(元)に対する認識なんてそんなものだろう。
 
「ほら! 否定せん!!」
「だって、ねぇ」
 
 顔がいいから絵面はいい。ただ、彼が花を心底好ましいと思っているように見えなかった。綺麗な花を見に行こう、というタイプではない。美しいものを美しいものとして愛でる感性は希薄だ。それを知っていて、微笑ましい嘘なんて吐けない。多分、啓悟もそれは分かっているのだ。啓悟は駄々っ子みたいに顔を背けて、手近にあった白とピンクのコスモスをぷちっと千切った。
 
「優美とか、純粋とか。後、乙女の純真ですよね」
 
 つらつらと挙げられていく言葉の意味を、私は知っていた。少し指を彷徨わせて、啓悟は赤いコスモスも手折る。深紅を目の高さに上げて、じいっと見つめて、一瞬口ごもる。続く言葉を予想するのは余りにも簡単だった。
 
「情熱」
 
 赤のコスモスの花言葉。最初のは白の、次はピンクのコスモスを象徴する言葉だった。
 
「……よく知っとぉ」
 
 力が抜けた腕から、はらはらと花が落ちる。一つ二つと数えながら、私はそれらを拾った。それはこっちの台詞だろう。
 
「啓悟こそ。男の人って興味ないと思ってた」
「そうです。ぜーんぶ教えられました。女の人はそういうの好きでしょ?」
 
 誰にとか、何の為にとか。そんなことは、聞かなくても分かっていた。ホークスは花言葉をに向けて使ったのかもしれない。それが、今となっては甚だ不本意なのかもしれない。
 
「そっか」
「花なんて、愛でるもんじゃない」
「うん」
 
 自分の身体の重心を傾けて、彼に寄り掛かる。二人しゃがみ込んだまま、足元の影が一つにくっついている。手加減なしにやっても、彼はびくともしなかった。
 
「茶色は贈らないでね」
「止めて下さいよ。万が一そんなことあったらちゃんと言います」
「ありがと」
 
 軽口を叩いた私に、啓悟はようやく私の方をちゃんと見てくれた。誤魔化さずにきちんと向き合ってくれると断言されたのが嬉しい。さっきまでもやもやしていたのは私だったのに、啓悟に伝染ったかな。ふふ、と笑い声を漏らした私に、啓悟は物凄く不本意そうに顔を顰めている。
 
「ねぇ、どれがいい?」
「はぁ?」
「いいから。選んで。一本だよ?」
 
 三本の、違う色。全部違う意味。それぞれの色のコスモスがどういう意味なのか、彼は知っている。
 
「……じゃあ、まあ赤で」
 
 何をさせられているのか、私が何をしたいのか。啓悟はきっと意味が分からなくて困惑している。赤は、私も好きだ。今はもうない、彼を象徴する大事な色だから。
 
「はい、あげる」
「……はぁ」
 
 緋色を一本抜いて、彼に渡した。今もって、啓悟は眉を寄せたまま不可解そうにしている。彼が一本だけの、華奢で素朴な花を握りしめているのが何ともアンバランスだった。可愛い。きっとこんなちょっと間抜けなホークスを見れるのは私だけだ。
 
「大事にしてね」
「何を?」
「……内緒!」
 
 赤いコスモスを。とは私は言わなかった。知らないみたいだけど、答えは敢えて教えなかった。嬉しくて、ちょっと気恥しい。
 立ち上がって足元を払って、くるりと踵を返してコスモス畑の中を先に歩き出す。
 後ろを慌ててついてくる彼の気配と同時に、私たちの間を爽やかな秋の風が吹き抜けていった。

一本のコスモス ...... 一途な愛
9/28 ... 『コスモス』 #はなぱれに加筆修正