何はともあれ、あっという間だった。
タイミングだとか、進む時は進むとか言われているけれど、実際自分の身の上に起こると本当に坂から転がり落ちる勢いのスピードで、まだちょっと信じられない。何がって――結婚だ。私と、啓悟の。
速すぎる男はこういうことにも手が回るらしい。
週刊誌に写真を撮られた瞬間、啓悟がしたことは口止めではなかった。それどころか、笑顔で私達の美化しまくった馴れ初めを語り、博多で一番のホテルの宴会場を押さえて、記事がが出るより前にさっさと記者会見を開いてしまった。全国ネットで芸能人でもヒーローでもない私の名前が晒されるなんて、後にも先にもこれっきりにして欲しい。
「外堀を埋められた気がする」
テーブルに片方の肘をつきながら、口から出るのはぼやきばかりだ。ちょうど真向かいに座っていた啓悟が、食べていたカップラーメンから顔を上げる。ちゅるんと啜られて消えていった麺から、ぴっとスープが一滴飛んだ。
「まァだ言っとーとですか」
眉間にわずかばかりの皺を寄せたままで、啓悟が笑う。啓悟がこういう笑い方をするのは珍しいな、とふと思った。困っている。私はそこそこ聞き分けの良い彼女だったつもりだから知らなかっただけなのかもしれない。
「写真撮られたのいつだっけ?」
「秋の初め頃でしたかね」
さも平然と言ってのける。まだ真冬になってもいない。つい先日ぶ厚いコートを出してきた位だから、肩丸出しのウエディングドレスでチャペルの外を歩くのはさぞかし寒いだろう。ああ、現実逃避。
「速すぎるのもどうかと思うんだけど」
「それ、俺に言います?」
目の前のこの男は、方々駆け回って一つの季節も経たない内に結婚式の準備を全部一人で整えてしまった。No2の地位に恥じない、盛大な披露宴のプランに目眩がした。本気を出した啓悟はマジで速い。二つ名はダテじゃなかった。
私のコレは、ただの難癖だ。八つ当たりにも近い。
「……仕事じゃないよ?」
ぽろりと漏れた気持ちに、啓悟は聞かない振りをしなかった。すごく小さな声で、テレビや換気扇の音もしたままだったのに。手に持っていたラーメンを容器ごとテーブルに置く。
ことん。ささやかな音に、私の心臓がどきっと跳ねた。
「もちろん、分かってます」
赤い羽根が一枚、視界を横切った。ニュースのアナウンサーの声はもう聞こえない。
琥珀色に自分自身が映っていて、彼は視線を逸らしたりなんかしないということを、私はもう知っている。
「下手に隠すよりいいと思ったんです。俺にとっても、なまえさんにとっても」
「分かってるもん……」
肘から崩れ落ちて、テーブルの天面に顔をくっつける。頬の柔らかいところが冷たくて、ぺしゃんこにつぶれている。
隠れて、追いかけられたり、人目を気にして生活しなくてはならないのは嫌だ。それだけの影響力が彼にはある。記事が出る前に全部さらけ出したのだって、下手に他人に書かれた言葉よりも自分の口から語った方が誤解を与えないからに違いない。
「マリッジブルー? かも」
最善を考えて、忙しい中で猛スピードで段取りを組むのは生半可なことじゃなかったと思う。啓悟はできるだけ私の希望を聞こうとしてくれたし、時間を作って私の実家にきちんと挨拶にだって来てくれた。私だって、分かっているのだ。
「まぁ、俺も飛ばし過ぎた自覚はありますけど」
大きな手が、私より太い指先が、ほっぺたをつついた。
だって、不安なんだよ。付き合ってた頃から先のことを考えないようにしていて、一度離れて、再び傍にいるようになったのも、落ち着いた今だからこそ彼が猛スピードを上げたことも、私は分かっている。
「なんか、自分のことじゃないみたい」
丁寧に時間を重ねられない。噛みしめる時間がなかった。そんな悠長なことができる程暇な人じゃないと、分かっていたけれど。
「何それ」
ははっと小さく笑った声が、すうっとささくれ立った感情を優しく撫でる。私の大好きな大きな手が、そっと側頭部で落ち着いている。
「あなたのことですよ。俺と、あなたの」
俺と、あなたの。
私と、あなたの。
ねぇ、こんなきっかけだったけど、啓悟は本当に後悔してない?
流されるままで良かったのか、彼が流されていないのか、分からなかった。もう少し待っても良かったのかも、恋人のままで良かったのかも、って。
「何年経っても俺はあなたに……俺の横で笑ってて欲しいんですよ」
緩やかに動く掌が、世界で一番安心できるその造形と温度が、愛しい。包み込むように滑る荒い手肌さえも大切で仕方ないって言ったら、きっと啓悟は笑っちゃうだろう。
生ぬるく頬が濡れてるのが気持ち悪いのに、私はいつの間にか笑っていた。
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