敵による個性を用いた犯罪と言うものは、大なり小なり何時でも何処でも起きる。野放図な敵よりも厳しい教育を受けたヒーローの方が一枚上手であることが大半で、多くの事件はすぐに解決するものだ。
しかし、そうもいかないことだって稀にある。被害の規模は、奴らの個性と頭の出来次第。時と場合によって、とんだ災難のような事件が起こる可能性はゼロじゃない。
彼女と出会ったのは正しく、稀な出来事が起こった日、だった。
▽
遠くで、また瓦礫が崩れる音がした。
巨大化した敵による単純な物量による破壊は、トップヒーローの到着を以って収束に向かっている。捕まえられれば、直に終わりだろう。しかし、今回は単純に大きかった分だけ性質タチが悪かった。
「あっちのビルが崩れている!」
既に現場に入りつつある警察があちこちで声を上げている。敵に直接やられることはもうないとしても、巨体が散々市街地を蹂躙してくれたお陰で、破壊の限りが尽くされていた。そこらにはまだ、今にも潰れそうな建物が無数にある。
「仕方ねェな……」
本来なら、救助レスキューは俺の専門外だ。報告と連絡を原則に、統制された動きで然るべきだ。警察も、他多数の大手事務所のヒーローがいるなら尚更。
しかし、目の前のこの街の荒廃ぶりは、自分の領域で、自分の救えるものを、自分の能力と責任の及ぶ限りで救うことを是とする『イレイザーヘッド』としても、手を出さずに放置できたものではなかった。
街路を駆け巡る。どけることができるものはどけ、助けられる者がいれば助ける。こういう現場で、パワー系個性のない俺では役に立てることは余りない。
「…………て」
道路一本挟んだ向こう、大量の瓦礫の下から微かに聞こえた声に、思わず立ち止まっていた。近隣の避難は終わった筈だ。この辺りに人はいない。それでも、この声は――。
「……けて!」
もう一度、先程よりも大きく聴こえる。生きている。まだ、誰かがそこにいる。何処だ。
コンクリートの塊の下から、腕から先の手が見えた。そして、一筋伝うように線を引いている赤。黒ずみかけた色は、血なのかもしれない。
ぎりぎり自分でも何とかなる大きさか。
できる範囲まで近づき、操縛布に手を掛け、振り抜いた勢いで建物の破片に巻きつける。街灯を支点に力任せに引っ張ると、僅かに浮いた隙間から、自分と似た年頃の女性が見えた。
「悪いが自分で出てくれ、離すと安全性が担保できない!」
「あ、足が……」
手を離して捕縛布が緩めば、今度は勢いをつけて彼女の上に落ちる。俺の力だけでは少しばかり持ち上げるのが精一杯で、跳ね飛ばすような真似はできない。
汚れにまみれた顔を振り、彼女は言う。歩けない、歩ける状態ではないのだと。それはこちらも承知している。濃い青灰色の地面にある不自然に濡れた跡は、やはり彼女のものに違いなかった。
「根性で動け! 落ちるぞ!!」
彼女の後ろの建物は上層階が張り出している。亀裂が走り、時折礫破片がパラパラと落ちるのを視認する。非常に不安定で、いつ崩れてもおかしくはなかった。
嫌な光景だ。砂埃が舞う、瓦礫ばかりの現場。既視感デジャヴは、きっと何年経っても、どれだけ俺が経験を積んでも消えることはない。
あの日、あの時、あの瞬間を、忘れることはない。
敵が壊したビルから大量の瓦礫が落ち、奴・に直撃した。顔をのけぞらせたことも、血が流れていたことも、その後埋もれてしまったことも、鮮明に灼きついている。あの時、あいつはどんな目をしていた。今、目の前にいる彼女が、ダブって見えた。
つい先程の発破が効いたのか、彼女は這いつくばった状態から、手を必死に伸ばしていた。腕の力だけで上体を引きずるように動かしている。目は死んでいない。諦めからは遠く、強い意志を湛たたえていた。
「もう、少し……!」
歯を喰いしばり、何とか巨石の真下からは這い出て、彼女は荒い息を整えている。こちらとしても一安心だ。安堵から来る深い溜息を吐いたのと、明らかに今までより大きな破片が落ちて砕けたのは、ほぼ同時だった。
「逃げろ!!」
彼女の真上が、倒壊しようとしていた。どちらが早い。考えろ。どうすれば助けられる。
操縛布を別の対象に使うには外すロスがある。また投げ直すまでには間に合わない。この距離なら、俺が走った方が早い――!
「前出て! 足屈めろ!!」
決めてからは迷いはなかった。手を離した瞬間、重力に任せて、コンクリート片を拘束している布が猛スピードで引き戻されていく。彼女のすぐ後方で轟音を響かせ、割れた破片がつい先刻まで彼女がいた場所に飛び散った。
走って、走って、手を伸ばす。柔い上半身をわし掴みにした勢いのまま、投げるように浮かせた身体を抱え、また走った。
また目の前で喪われてたまるものか。それだけだった。
▽
少しばかり離れた、周りに危険のない場所まで来て、ようやく彼女を降ろした。考えるのもおぞましい音が背後から聞こえてから、すぐだった。
「無事か」
「……な、何とか」
前しか見ていなかった俺とは違い、彼女は見ていたのかもしれない。或いは、音で察したのかもしれない。ただでさえ砂埃で白っぽくなった顔面を蒼白にしたまま、彼女は力なく頷いた。そのまま、顔を上げることはない。
怪我の状態も無視して抱え上げ、可能性に賭けるような無謀な助け方をした自覚もあった。下手をすれば自分も潰れていたかもしれない。らしくない。学校の実習なら不合格ものだ。
「手荒な扱いして悪かったな。足、見せてくれ」
「へーき、です。ありがとうございます……」
指し示された通り、素直に突起のない瓦礫に腰掛けた彼女に、足を出させる。しゃがんで間近に寄ると、赤黒みを帯びた茶色がストッキングにべったりとついているのを目の当たりにして、顔を顰めた。常備している軟膏でも塗ってやろうかとも考えたが、この後すぐに病院に行ける状態なら、傷口の洗浄なしに下手なことをする必要もないかと思い直す。血は、既に止まっていた。
話しかけようと視線を上げると、俯き加減の彼女とかち合った。さっきも感じた、白くて血の気の引いた顔。唇が、髪の毛の先が、僅かに震えていた。
こんなに明確な恐怖を、死ぬかもしれない経験をするのは、彼女にとって初めてだったのかもしれない。過ぎた恐怖に震える要救助者ときちんと向き合う経験は、普段救助をしない俺にとっても、やはり初めてだった。
「もう、大丈夫だ」
そっと彼女の頭上に掌を置く。揺れた髪は柔らかく、地肌から伝わってくる砂のじゃりじゃりとした感覚と、血の通い続ける人間の体温は、驚く程暖かい。彼女は生きている。
この女性ひとはあいつじゃない。あいつではない、それでも、今度は救けることができたんだとじわりと認識が深まっていく。
自分が救けることのできた存在を直視する。黒すぐりのような目がいっぱいに見開かれている。その存在は、俺をただ真っ直ぐに見て、涙を零していた。
「助けてくれて、ありがとう」
汚れた腕で涙を拭き、彼女は笑う。次の瞬間には、砂利が入ったのか痛い、と叫んだ彼女の緊迫感のなさに、こちらまで釣られて笑ってしまった。