本心はざわめきの中で

『午後七時に駅北口で』
 
 とても短い、業務連絡のようなメッセージが入っていたのは昼休み中のことだった。最近何となくお付き合いを始めた私達だけれど、実際にそれ程親密になったかと聞かれたら、そうでもない。まだ名前で呼ぶ関係ではないし、彼にとっては、同僚のヒーロー科教員の方が余程気心が知れてるんじゃないだろうか。
 
 寮の自分の部屋で、ベッドに腰掛けたままスマホの画面を食い入るように見つめる。時間と場所以外には、前にも後にも何もない。
 ちょっと待って。これ、もしかして本当に業務連絡?
 あながちハズレでもなさそうな予想に、はぁと溜息を吐いて、私はメッセージアプリの画面を指先でしゅっと消した。
 
 今日は市内のお祭りなんだそうだ。期末試験から解放されて、遊びに出る生徒も多いだろう。高校生にもなって寄り道の全面禁止なんてできるようなものではないし、青春への過度な手出し口出しは野暮だとは思う。
 そんな中でも、雄英へのヴィラン襲撃事件が起こって何があるか分からない現状、先生方の一部は夜の見回りに出るという話を聞いた。当の相澤先生本人から。
 
 これは頭数に入れられたな。それなら動きやすくて対外的にも問題ない程度の恰好はしないといけないんだろうな。せめて、好きな人と一緒なんだと喜べばいい。
 察した私は、お出かけの私服ではなく、通勤の時に着るような服を手に取った。
 
 
 
 

 
「うっそ、ぉ」
 
 思わず。そう、本当に思わず、口から滑り出たのは、決して誉め言葉じゃなかった。約束の時間、約束の場所に立っていた男性ひとを見た時、一瞬自分の目を疑った程だった。
 
「何がだ」
 
 涼しい顔でそう言った相澤先生は、いつもと違って見た目から爽やかだ。
 普段はぼさぼさの髪は後ろで括られていたし、小さな十文字が織り込まれた生成りの絣の浴衣は、お世辞抜きに本当によく似合っている。無精髭だけはそのままだったけど。普段は真っ黒なのに、今日は本当にどうしたっていうんだろう。
 
「何で相澤先生が浴衣……」
 
 似合ってるとか似合ってないとか、そういう問題ではなくて。想像もしていなかった目の前の事態に頭が混乱している。ぶつかってきた人への対処さえし損ねてよろめいた私の腕を、相澤先生が掴んで支えた。
 お礼を言おうと顔を上げると、いつもよりも近い位置に相澤先生の顔がある。石けんの清潔な香りが暑さと汗で匂い立つように、私の嗅覚を優しくくすぐってくる。距離の近さを自覚する。暑い。そして、熱い。
 
「あんたは何で、そんな仕事行くみたいな格好なんだ」
「仕事じゃないんですか!?」
 
 話の流れからてっきりそうだと思い込んでいたから、そう言われて逆に驚いてしまう。半袖のブラウスに、ややタイトなスカートとストッキング。これで親御さんに会ったとしてもばっちり。そう思った一時間前の私はどうやら間違っていたらしい。浮かれたこの場所に、私はひどく場違いだった。呆れたような、相澤先生の溜息が耳に痛い。
 
「だ、だって皆さん見回り行くって」
「交代でな」
 
 約束の時間は午後七時。
 七限まで頑張って授業を受けたヒーロー科の生徒だって、今から出てくるような子は少ないだろう。あらかた捕縛・指導し尽してから来るだけの時間は、充分だったかもしれない。
 
「大体の位置は把握してる。問答無用で帰れって訳にもいかないだろ」
「後半の先生と代わってきた、と」
「ミッドナイトやマイクが行ってるよ」
「あー、納得です」
 
 バトンタッチする時にミッドナイトに捕まったから、この恰好なんだ。そうか、それで。相澤先生が私とデートする為に頑張ってくれたとか、変な勘違いを口走らなくて良かった。
 今は眼福を楽しむだけでいいんだ。気が抜けて緊張感を一切手放した私を、相澤先生がじっと見ている。腕を組んでいる様は、何処となく不機嫌そうだった。
 
「何を勘違いしてるか知らんが」
「え?」
が好きなんじゃないのか、あんたは」
 
 こういうの。好き。私が。
 相澤先生の台詞で、お祭りについて話していた時のことを思い出す。ミッドナイトや13号とお祭りと言えば浴衣よね、と話していた。男の人の浴衣がかっこいいと言ったのは――私だ。
 
「……やだ。聞いてたんですか、あれ」
「丸聞こえだったからな」
 
 お二人にもご賛同頂いたけど、言い出した上に熱弁してたのは、私で間違いない。その時、口にこそ出さなかったけど、当たり前のように、相澤先生が浴衣着たらかっこいいだろうなって思ってました。ごめんなさい。
 
「お膳立てされたことは否定しないが、乗ったのは俺だ」
 
 当人が聞いていてもおかしくないような場所でするような話じゃなかった。しかも、相澤先生は私の妄言丸出しの願望を汲んでくれたっていうのに、私はいつもと代わり映えしない通勤服だ。恥ずかしくなってきて、頬が熱くなってくる。
 
「そもそも、俺は自分でこんな面倒で動きにくそうなのは選ばない」
「……もう、勘弁して下さい」
 
 ええ、そうでしょうとも。あなたはそういう人です。
 帯の締め方を知ってるとも思えない相澤先生は、着崩れだとか肌蹴るとか、非常事態では動きにくいとか。考えるだけでも非合理的。ある意味、たすき掛けと袴の方がまだ妥協してくれそう。
 ミッドナイトがそそのかしてくれたのかな。提案に乗った瞬間、どんな顔して何て言ったんだろう。絶対からかわれたんだろうな。本当に申し訳ない。
 
「違う、そうじゃない」
 
 後頭部をがしがしいてる先生は、困っているようで、言葉を探しているようにも見えた。
 ヒーローは皆そうなのか、元々の気質なのか、相澤先生はよく私のことを見てる。私の考えてることを、大体正しく把握してる。私が勘違いしたことや、今ちょっとしょんぼりしてることなんて、きっと全部お見通しなんだろう。 
 
「あんたが言うなら、着てもいいと思ったんだ」
 
 緩く掴まれた手首と共に、私達は人の流れに乗ってゆっくり歩きだす。私がまた誰かにぶつからないように、半歩先を行く彼の表情は見えない。でも、ぬるい風になびく髪から覗いた形の良い耳が、僅かに赤くなっていた。
 ああ、彼に対してごめんとか、そんなのは違ったんだ。その時初めて、そう思った。
 他でもない私が言ったから。私が、喜ぶだろうと思ったから。或いは、ちょっと格好つけてくれたのかもしれない。
 
「相澤先生、かっこいいです」
「そりゃどーも」
「本当です。すっごく嬉しい」
「分かった、分かった」
 
 目抜き通りは通行止めだった。何処からともなく集まってきたたくさんの人で、人口密度が半端じゃない。少し離れたら迷子になって、もう会えなくなってしまうんじゃないだろうか。そんな気がして、私はぎゅうっと彼の手を握った。
 
 初めて私から繋いだ手が握り返される。相澤先生の親指が、同じ私の指の付け根を優しく撫でている。
 喜んでもらえて良かったよ、と小さく呟いた彼の声は、縁日のざわめきの中に消えていった。