踊る君

 口元に当てたペンをぐいぐい押し付けると、はずみでかちりと音を立てて、出ていたペン先が引っ込んだ。
 目の前のヒーローと書類を見比べ、ため息を吐く。真っ赤な翼が目に眩しい。浮かべる飄々とした笑顔は何処までも掴みどころがない。
 
「お分かりでしょうが」
「はぁ」
 
 繰り上げでナンバー2になった男は初っ端から色々しでかしてくれる。公安では彼が幼い頃からエンデヴァーのファンであることなんて公然の秘密で、どうして憧れの男ナンバー1に喧嘩売ってるんだか。
 
「あんまり世間を煽らないようにお願いします」
「さーせんしたァ」
「真面目に聞いてます?」
「もちろんですよ」
 
 どこからどう見ても不真面目な態度は、まるで思春期の男子高校生みたいだ。基本的には公安に従順な――実際何を考えてるのかは知らないけど――筈のホークスは、何でか私には挑発的なところがある。完全に舐めてやがるな。
 かち。プラスチックのねじが回って、またはまる音がする。
 確かに私は若輩者ですけれども。そりゃー会長や目良さんのようには行かないでしょうけども!
 かちかちかち。ボールペンのノックを三回。何だかもっとイライラしてきた。
 
「あの~」
「何ですか!?」
 
 わざと間延びした聞き方しないで、くそう悔しい。ホークスを睨みつけると、彼は口の片方の端だけを持ち上げて、挑戦的に笑った。
 
「それ、ウチのです?」
「へ?」
「事務所開いた時に作ったやつ」
 
 それ、が何を指しているのか。視線の先には、私の手がある。握っているのは、使い馴染んだボールペンだった。
 メタリックレッドの芯に、ころころチェーンの先で揺れるホークスのマスコット。ちゃんと黄色のゴーグルもイヤマフだって着けている。小さいくせに再現度が高くて可愛いと、今となっては超レアグッズ扱いになってしまったやつだ。
 
「公安でも配ってくれましたからね」
「そうですね」
 
 なんたって古巣ですから。この部署にいたなら人間なら、大概入手できたはず。世間では入手困難で有名だろうが、ここではありふれていることに間違いはない。短く同意したホークスに、ほっと胸を撫で下ろす。
 このままだと色々ほじくり返されて、こっちがやり込められる。手に持っていた書類の端がぐしゃりとめげた。必要な伝達事項は共有したし、途中で曲がったかもしれないけど、上から刺せと言われた釘はぶっ刺しておいた。私のお役目はこれまででいい。
 
「もう結構ですよ、ホークス」
「あれ。でも、おかしいなぁ」
 
 あからさまに、わざとらしく、彼は首を傾げた。こちらを射抜いている視線とばっちり合う。
 
「その時、みょうじさんはいなかったように記憶してるんですけど」
「……お借りしておりまして!」
「へぇ」
 
 眇められた猛禽類の目が、私の顔と、ボールペンと、胸ポケットに挿された私物のペンを順に捉えていった。殊更、ゆっくりと。気付いてるくせに、決して言葉に出しては言わない。
 隠していた訳じゃない。声高には言ってこなかっただけ。でも、少しずつ暴かれていく感覚は、ひたすら私の羞恥心を煽っていくばかりだった。喉の奥がぐっと詰まって、熱い。どうせ、この男には心拍音から体温からで、私の緊張なんて全部バレている。せめて顔色に出ていなければいいなと、どうにもならないことを思った。
 
「他にも色々あるんですけど、差し上げましょうか」
「……は、」
 
 伸びてきた指先がマスコットをつつく。ゆらゆら揺れた小さな彼の分身に、ホークスは口元を緩めた。これは、微笑みだ。からかいでも、挑戦的でもなくて、もっと丸い感情からくる表情だった。
 あ。という頃には遅い。私の手の内を深紅がすり抜けていく。取られたボールペンを彼はかちっと一度だけ鳴らして、私の掌の中に十一桁の数字を書いた。公安で支給しているものでも、把握している番号でもない。添えられた大きな手が包み込み、それらを隠すように、私に拳を握らせる。
 
「俺、しょっちゅう番号変えるんで」
 
 これは何。呆気に取られて、ぼっちになった自分の手を見つめる。ハハッと軽やかな声が耳に届き、私の思考を甘くくすぐった。
 
「早く掛けてこないと、これ、どうなっても知りませんよ?」
 
 速すぎる男は、もういない。赤いペンを魔法の杖みたいに振りふり、ホークスは既に出口に向かっている。
 あれでは、人質ならぬ物質。ヒーローが何てひどい仕打ちをするんだろう。先輩に頼み込んでやっと手に入れた大切なボールペンを取り返すには、私は彼とプライベートで会うしかないらしい。
 
 飛び跳ね揺れるマスコットが陽気に踊っているように見えて、私も思わず笑ってしまった。