世間さまのイベントの日は、ヒーローにとっては正に繁忙期と言い換えてしまっていい。年末年始にお祭り、お花見の季節はもちろんのこと、クリスマスだって例外じゃない。べったりくっつくカップルに、大騒ぎするグループに、傷心の酔っ払い。理性が飛んだ方々が街に溢れる。
皆頼むから大人しく家でパーティーしててくんないかな。今日は聖夜ってヤツなんじゃないの?
慣れない程軽くなってしまった背中を持て余して、足取り重く家の扉の前にたどり着く。去年まではただの業務の一環でしかなかったこのイベントに対して当てつけがましい不満が出るのは、きっと羨ましいからだ。
鍵を差して、回す。がちゃんと立った硬質な音が耳障りで仕方がない。クリスマスを共に過ごして然るべき相手ができたっていうのに、俺は彼女に対して、一緒には過ごせないから誰かお友達と約束して下さい、と言う他なかった。浮かれた街で、大切な人に独りで過ごしてなんて言える訳がない。結果として、悲しいかな、今年もいつもと同じクリスマスだ。
疲れた。今日はほとほと疲れた。減った剛翼の分、感覚も鈍る。異変に気付いたのは、情けないことにドアを開けてからようやくだった。
真っ暗だと思っていた部屋は間接照明でほのかに明るく、キンキンに冷えている筈なのに、空気は何処までも暖かくふわりと俺を包んだ。
「ホークス、おかえり」
リビングからスリッパを鳴らして出てきたのは、今日はいないと思い込んでいた人だった。呆気に取られて、戸締りすら忘れて立ち尽くす。
「なまえさん? ……何でいるんですか」
「クリスマスなのに、いたらおかしいみたいなこと言わないでくれる?」
「いや、だって」
そもそもクリスマスだから誰かと過ごすということ自体、俺には普通ではないのだ。上がり框から降りてきて鍵をしっかり閉めた彼女は、俺の背中を無理やり押し出した。
「ホークスにとって、クリスマスは仕事三昧の日なんだろうね」
「ハハ、正解」
「うん、そう思った。やっぱり来て良かった」
良かった、という表情ではない。渋い顔をしたなまえさんに奪い去られたゴーグルとグローブは、玄関のシューズケースの上にちゃっかり放置された。押されるがままに入ったリビングは、今朝俺が出てからえらく様変わりしている。
「どうしたんですか、これ」
「買った。で、持ってきた」
フローリングに敷かれた毛足の長いラグの傍らで、ツリーが存在を主張している。LEDのライトがちかちかと点滅して目に眩しい。幹の根本に置かれた靴下は、誰の足にだってぶかぶかなのが明白な位に馬鹿デカい。テーブルにはお皿とカトラリーとグラスがばっちりスタンバイしていて、真夜中だというのに一体何が出てくるというんだろう。
「とりあえず、着替えてきて。ルームウェアはだめだよ」
「はいはい」
言われずとも着替えるつもりだった。しかし、楽な格好は禁止。そういえば、なまえさんも普段しているようなラフな格好ではなく、小綺麗なワンピースにアクセサリーまでつけていた。心なしか、メイクもいつもより華やかだ。
「一体何が始まるっていうんです」
「分かってるくせに」
空のグラスを手に取った彼女が、透明なガラス越しに歪んで映っている。にやりと笑って、彼女は言った。
――クリスマスだよ、と。
▽
何処かで聞いたことがあるような讃美歌が流れている。俺は一度も使ったことのない、オーブンが鳴るのを初めて聞いた。外で栄養補助食品を食べただけの身には抗えない、魅惑の香りが部屋中に広がっていく。鉄板に乗った特大サイズの鳥の足を目にした途端、ごくんと生唾を飲み込んだ。
「ホークス、どれ位食べれる?」
「シリアルバー食べただけなんで、普通にイけます」
「了解。夜中だからちょっと減らすね。そっちはできた?」
お皿に盛りつけられていくチキンを尻目に、俺に与えられたミッションを再度見直してみる。飾れ、と渡されたオーナメントをツリーにぶら下げるだけなのだが、これがまた、上手い具合が俺にはよく分からない。
「……多分?」
こんなこと、したことがない。そこらでクリスマスツリーを見たことは何度もあるのに、いざ自分がするとなるとバランスとかもあるのかもしれないなどと、色々な不安が頭を過ぎる。小さくなった声を耳ざとく聞きつけて、テーブルを完璧にセットしながら彼女は俺とツリーを交互に見て首を振った。
「それじゃ全然だめ。もっと」
「そんなもんですか」
「そうだよ、寂しい」
確かにまだ緑色が多い気がする。床にちらばった飾りをいくつか手に取り、隙間を埋めるようにぶら下げていく。色とりどりのボールに、ベルに、木製の人形まで。こんなにたくさんの種類があることに、新鮮な驚きがあった。食事の支度を終えた彼女が俺の横に立って、あれこれと手伝っては教えてくれる。
「ボールは、アダムとイブのりんご」
「へぇ」
「最後に、お星さまを一番上に飾るんだよ」
どうぞ、と手渡された星の形をした飾りを、ツリーのてっぺんにそっと置く。綺麗に真っ直ぐ収まると、やけに達成感があった。なまえさんを振り返ると、とても穏やかに微笑んでいるものだから、何だか恥ずかしくなってしまう。どうして彼女は、こんなに優しい瞳で俺を見るんだろう。
吸い寄せられるように、キスをした。まだ温まりきっていない俺の冷たさと、彼女の微熱が混じる。突然の理不尽も受け止めて、彼女はそっと目を閉じて応えてくれた。なんてことはない、触れるだけのキスが終わる頃には、二人の手も重なって絡められていた。
「ありがとうございます」
「ん?」
「俺に、普通のクリスマスを教えてくれて」
「うん」
ツリーにお星さまとオーナメントを飾って、ケーキとチキンを机に並べて、シャンパンを開けて。定番のクリスマスソングを流しながらパーティーをした後は、靴下を用意して、次の日の朝起きたらプレゼントが入っている。そんな、普通の家なら何処でも見られるような、ありふれた平凡なクリスマスを、俺は知らない。
形だけのお膳立てされた場所に、公安の人たちに家族の暖かさまで求めるのは無理な話だ。それだけでもありがたかったと思っている。好意を感じなかった訳じゃない。彼らが悪いんでもない――仕方がなかったのだ。
「来年は、もっと前から準備しようね」
「チキン、一本丸まる食べたいです。シャンパンも」
本当は、チェーン店ではありえない大きさの、彼女が焼いたローストチキンレッグにかぶりつきたかった。今からでは消化に悪いと却下され、お皿の上には綺麗に切り分けられたささやかな量しか乗っていない。今日は炭酸水で我慢するけど、シャンパンのコルクの栓を開けるあれだって、一度はやってみたい。
「それは、ホークスの頑張り次第」
「善処します」
俺の子どもみたいな願望に、彼女はおかしそうに笑った。手を引かれて、テーブルに着く。少しだけ冷めた、でもまだ温かいディナーは、家では十分な程に豪華に見えた。
来年はもっと、平凡なクリスマスを楽しめる世の中になっていればいい。きっと、今年よりも全てが上手くできるに違いないから。そう願って、レプリカの紅い林檎を指先で揺らした。
2022 X'mas