遠くから

 久々に顔を出した事務所の俺のデスクの上には、段ボール二箱はありそうなファンレターの山ができていた。ギリギリの均衡で保たれていたバランスが、羽ばたき一つで今にも崩れてしまいそうだ。
 
「うーわー、これはまた壮観!」
 
 大半は善良な市民の感謝や若い女の子からの憧れが綴られた手紙だが、依頼案件が混じっていたり、脅迫文が入っていたりする事もある。基本的には事務所からの礼状で返信に代えているものの、一旦目を通さないことには溜まる一方だ。
 
「笑いごとやなか。増える一方やけん、分別しとってよ、ホークス」
 
 サイドキックに窘められて肩を竦める。 最年少と言えども所長である俺自身の、最近の事務所を空ける頻度の多さには、彼らだって言いたいことの一つや二つあるだろうと思う。何も明かさない俺を信頼して好きにさせてくれるのはありがたい。
 この手紙の山だって、潜入前はその日の内に見ていた分、溜め込むようなことはなかったのだ。
 
「はは、了解です」
 
 山のてっぺんから落ちた一つを取る。可愛いキャラクターの封筒に、練習中の字と思しき大きくて歪なひらがなが広がっている。小さい子どもからだろうか。
 好意の塊は、向けられて嫌なものじゃない。今は後暗いことが増えすぎて真正面から受け止める気になれなくとも、励みであり、支えでもあることに間違いはなく。これを任せて廃棄の指示を出せないのなら、やはり自分で見るしかない。本腰を入れるべく、俺は机に向かった。
 
 
 
 

 
 何通もの手紙といくつかの贈り物は、全て封が切られている。危険物がないか最低限のチェックだけ施されて俺の前に積みあげられている山を、少しずつ切り崩していく。全てを読み込んで浸るような時間は、正直ない。
 その内の一つを手に取ると、やけに不自然な重みと膨らみがあった。差出人を見て、自分の目を疑った。
 
『みょうじ なまえ』
 
 逡巡したのは一瞬。カメラもマイクも解放戦線に仕掛けられた今、下手な動きは何一つできない。
 
 まるっこくてパステルカラーのペンで綴られたそれらは、俺が知っているものとは余りにもかけ離れている。彼女は人に見せる字を、こんな風には書かない。それでも、馴染みのあり過ぎる名前と、何度も訪れた場所の住所は間違えようがなかった。これは、彼女・・からの手紙だ。努めて何でもない風に中身を取り出すと、一枚の便箋と小さな袋が転がり落ちた。
 
 
 
『ホークスへ。
 
 初めてファンレターを送ります。
 空とホークスの赤い翼のコントラストがとても綺麗で、
 間近で見た日からずっと目に灼きついています。
 どんなあなたも大好きです。
 大変なお仕事でしょうが、甘いもので一息つけますように。
 
 みょうじ なまえより』
 
 
 
 会うことも電話をすることも、メールを送ることさえも許されない状況で、彼女が送ってくれたファンレターは、どうとも取れる内容だった。
 何なんだ、この下手くそな小学生みたいな作文は。純粋なファンレターはもっと、大袈裟な希望と、一方通行と認識した上での真っ直ぐさに満ちているものだ。
 一介のファンレターにしか見えないように抑えて、抑えようとして逆に拙くなった文面と、自分にしか分からない滲み出る想い。
 
 ジッパー付きの小袋には、マーブル模様のキャンディーが詰め込まれている。クリア、ピンクに薄い水色。丸く緩く、混ざるラインの曖昧さは、ぱっきりと分かれているよりも俺には身近なものだ。
 封を切って、一粒を手のひらに出す。ころころと、飴が揺れる。人工の果実の香りを感じながら、俺は口にそれを放り込んだ。
 
「……甘か」
 
 彼女がくれた想いの断片と、労り。俺が今何をしているのか、目を閉じて見ない振りをしていることも、全てを知っていて尚労わろうとしてくれる人。
 
 舌の上で転がる飴玉は、甘ったるい砂糖の味の中に、僅かな桃のさわやかさが混じっていた。