私しか知らない

 月を見上げる。人を、想う。大切な人を。
 
 テレビに映し出された、ナレーションと共にハンバーガーを食べながら月を見上げている恋人を見て、口の中のものを吹くかと思った。似合わない――似合わない! 家だったら絶対大笑いしてたこと間違いなしだ。
 吹き出さないように、さっき食べた日替り定食のおひたしを飲み込んだ。ごっきゅんと喉がひどく鳴った気がした。落ち着こうと一旦お箸を置いて水を飲む。冷たくてとても美味しかった。
 
「はー。ホークスかっこよか~」
「かっこはいいけど、いつもとそんな違うかねぇ?」
 
 一緒に昼食を取っていた同僚は画面に釘付けだった。再び流れた別バージョンをうっとりと眺めている。流石大手チェーンは広告費への投入額が半端ない。
 
「何言いよるん。あん顔! あんな顔ホークスはせんよ」
 
 彼女がテレビを指さした先のホークスは、いつも私が見ている啓悟と大差ない。ああ、でも。オフの時の彼とヒーローしてる時の彼は少し違うのかもしれない。
 皆のイメージする明るくて軽妙なホークスは、根っから明るいキャラクターなんだろう。実は落ち着いた一面もあるけれど、それを余り表では出さない。近しい人ばかりが知っている。
 
「そんなもんかなぁ」
 
 水を飲む。身体の中を流れていく感触に、全てを冷やしているように錯覚する。再び視線を向けた先のホークスは、やっぱりいつもとそんなに変わらない気がした。
 
 
 
 

 
「あ」
「ん?」
 
 見ていた週末の夜の映画の合間に流れたCMに、後ろにいた啓悟がもの凄い速さでチャンネルを変えた。始まってまだ間もないSF映画はちょうど盛り上がってきて、これからがいい所だというのにとんだ暴挙だ。
 
「何すんの、続き!」
 
 リモコンを奪おうとすると、啓悟は手を上げてそれを阻む。何でだ。そもそも、疲れたとか言いながらベッドに転がってテレビも半分見だったくせに。私は放送ラインナップを見た時から、これは見るって決めてたのに。唇を尖らせて抗議すると、啓悟はふいっと顔を逸らして視線を合わせようともしなかった。
 
「また戻すって。ちょっとニュースが気になって」
「どう見てもニュースのチャンネルじゃない」
 
 地上波しか映らない私の部屋のテレビで、金曜の今の時間でニュースをしてるのは某国営放送位しかない。CMが流れてる時点で絶対違う。この局なら、多分バラエティーだ。普段ならたまに見たりもするけれど、今日の私は完全に映画の気分でいた。
 このままじゃ続きが始まってしまう。画面を凝視しながらむぅと考え込んでいると、聞き覚えのある曲に意識を持っていかれる。
 
「あっ、ホークス」
「えぇ!」
 
 ちょうど昼間見たばかりのCMが流れて、啓悟があからさまに慌てだす。珍しく動揺したのか、リモコンが私の座っているラグの上に落ちてくる。追いかけた啓悟より、これまた珍しいことに私の方が速くて、内心びっくりしてしまった。剛翼を使えば絶対に啓悟の方が速いのに、それすら思い浮かばなかったようだった。
 
「ちょ。見んで……」
 
 彼の言うところのザコ羽根が私の視界を塞ぐ。ふわふわとした柔らかさが気持ちよくて思わず笑い声を零すと、羽毛は私の頬をくすぐってきた。色々誤魔化してきてるけど、薄い目隠し程度では、テレビのブルーライトは遮れない。
 
「何で? 前撮影って言ってたCMこれだよね?」
 
 ゆったりとしたバラード調のBGMと、夜道を月を見上げながら歩くシーンが印象的なCMは定番の期間限定バーガーのもので、毎年多少変わってもテーマは同じ。月と大切な人の絆を前面に押し出した、恒例のCMは今年も評判がいい。
 
「なして知っとーと!?」
「……知ってるも何も、局関係なくいっぱい流れてるよ」
 
 こっちが聞いてるのをまるっと無視して、本気で驚いて聞いてこないで欲しい。全国チェーンのハンバーガーショップが流す季節限定商品のCMがどれだけ流れるのか知らないのか――知らないんだろうな。啓悟は娯楽でテレビ見るタイプじゃないみたいだし。
 
「受けるんやなかった。あんなん、俺んイメージじゃなか」
「……はぁ?」
 
 今の啓悟は私の部屋に置いた部屋着を着ていて、ベッドの上でうつ伏せで打ちひしがれてる様はちょっと情けない。話し言葉も、普段は私に合わせて共通語使ってるのに博多弁とぐちゃぐちゃで、これは相当キてると断言できる。
 確かにこれはホークスっぽくない。コスチューム着てクレバーに迅速に事件解決しちゃうホークスとは程遠い。雛鳥ちゃん達が見たら卒倒しそう、それは認める。
 
「でも、啓悟いっつもああいう顔してるよ。気付いてないの?」
 
 ベッドに顎を乗せると、視線がちょうど同じ高さになる。CMでの啓悟の表情は、私にとってはそれ程珍しいものじゃない。静かで、でも張り詰めていない。何か考え事をしている時も、私に気付いてふっと笑う。そんな貌。
 こてんと顔を倒すと、不貞腐れながらもようやくこっちを向いた啓悟と視線があった。目が据わっている。何がそんなに気に入らないのか、さっぱり分からない。
 
「それなら、俺だって言わせてもらうけど」
 
 伸びてきた片手が、私の頬をむにっと摘む。力はこもってないけれど、弄ぶように何度も指は動いて、私の輪郭が形を変える。人の頬で遊んで調子を取り戻してきたのか、啓悟の方言は抜けていた。
 
「俺、あのCM撮る時、大切な人思い出しながらして下さいって言われたんだよね」
 
 私は啓悟の方言も素が感じられるから好きだから、気を取り直してしまったのが少し残念で。言われたことの意味も、大して考えていなかった。
 
「そういうコンセプトなんでしょ」
「そう。人ね」
「……大切な、」
 
 そういうCMなんだからそれを求められるのは仕方がない。それがホークスが普段出さない一面だとしても、一度受けたらやるしかないのは当たり前だろう。何が言いたいのか、含みを持たせるばかりですぐに答えを教えてくれない啓悟に、おうむ返しに繰り返す。
 ホークス。皆は知らなくて、私は知ってる。目の前にいる啓悟。大切な人。
 
「大切な人を、想う」
 
 ぽそり、とキャッチコピーを口に出す。大切な人って、誰だ。私の頭の中でぐるぐると回っていた答えの欠片が、かちっとはまる。どうして、皆は知らなかったの。それは――。
 
「なまえ思い出してたってこと。そりゃー君の知ってる顔にしかならない」
 
 私が答えを見つけるのと、啓悟が秘密を明かしたのは、同時だった。ようやく導き出された、余りにも簡単で純粋な愛のかたまりに、一気に頬に熱が集まる。こんな至近距離で顔を突き合わせて、絶対バレてるに決まっている。彼を笑える立場じゃなかった。
 あれはホークスじゃない。ホークスじゃなくて、啓悟がモロに出てるんだ。だから、私しか知らない。当たり前のように受け入れていて気が付かなかった自分が尚のこと恥かしい。
 
「ほっぺたが熱いね」
 
 啓悟のもう片方の手が、空いていた方の私の頬に触れる。やわやわと両方のピンク色になった頬を揉んで、揶揄かって遊んでいる。今度は私が顔を伏せる番だった。
 
「…………も、勘弁して。ごめんなさい」
 
 見えない視界の先、啓悟が笑っているのが気配で分かる。ふわりと後頭部に舞い降りた羽根が、優しく私の頭を撫でていた。