渡された箱を開けると、あんまり綺麗なものだから、咄嗟に言葉が出てこなかった。
一本の金色のチェーンに、見覚えのある深紅の石。チェーンは隙間なく繋がれたあまり見ないタイプだったけれど、これはお高いと瞬時に悟った。隣り合わせに座りながら、話の途中にフリスク食べる? 位のノリで寄越してくるものでは断じてない。
「えーっと。……外した?」
「違う! 見とれてただけ!!」
固まっていた私の顔を伺うように覗きこんできた彼に、その勘違いだけはさせてはいけないとすぐさま否定する。それだけで、啓悟は表情を緩めて、そりゃ良かった、と相槌を打った。彼の背中で羽根がゆらゆら揺れているのが見えて、可愛いなぁもう、と心の中で私は拳を握る。
可愛いし、嬉しい。それに、綺麗なものを手に入れられた瞬間の充足感もある。でも、彼には一つ言っておかなきゃいけない。
「これ、私が前に見てたやつ?」
「そう。よぉ覚えとうね」
覚えていますとも。あなたと一緒に見たのは結構前だけど、最近のインターネットは懇切丁寧に自分の好みをこれでもかとお勧めしてくれる。何度この、紅い翼によく似た色を拝んだことか計り知れない。
このネックレスのトップだけで結構なお値段がした気がする。それに加えてこのきらっきらのチェーンは、総額を考えるだけで頭が痛い。
歩合制公務員のヒーローでもトップ群に属しているのは伊達じゃない、とでも言おうか。普段からものすごい金額を稼ぐ『ホークス』は、これと決めたら金銭に糸目をつけずパーッと使うところがある。気さくな言動をするから庶民派と思いきや、必要があれば三ツ星レストランにだって平気で入れるし、桁が違うプレゼントだって平然とポチれる人だ。
「タブレット借りたらしょっちゅう出てくるもんで、つい」
「ついで私の金銭感覚狂わせるようなことしない!」
そう、問題はこれ。ド庶民の私は、彼のこの感覚に慣れてしまってはいけない。
贈り物上手な彼は、何かにつけてモノをくれる。プチプラなコスメから可愛らしい雑貨、お気に入りのペアのマグカップだって彼が見つけてきた。贈る頻度と、たまにその金額が私の想像の斜め上を行っている。
「何か問題が?」
「二十代前半で、何でもない日にこれはない」
「なるほど、タイミング」
「何か分かってない気がするけど、まぁそうだね」
内容は外さないんだ、この人。その辺りのセンスは信頼できる。彼が選ぶもの、くれるもので間違いはない。最初はそれ程って思ったものでもだんだん気になっていくんだから、私の趣味嗜好は完全に把握されている。
こ・れ・に慣れるのが怖い。こんな人、きっと他にはいないから。
「嬉しいのは本当。……ありがとう」
「どういたしまして」
渋りながらもようやくお礼を口にした私に、破顔一笑。恋人になって見慣れつつあるとはいえ、極端に顔がいい男の笑顔は心臓に悪い。
正直、何で啓悟が私と付き合おうと思ったのか、今もよく分からない。日頃から想いを言葉と態度で表してくれるから、気持ちを疑ってる訳ではないけれど。原因が分からない漠然とした不安は、ぶすぶすと私の奥底で燻り続けている。
「それじゃあ、高いものは誕生日とかクリスマスに渡すってことで」
「お願いします。普通はそんなもんです」
二人の間で落としどころが決まって、やっと人心地ついた気がした。手に持ったままだった、箱の中のネックレスを撫でる。つやつやで、少しひんやりとしていて、ライトを反射して眩しく煌いている。こんな素敵なプレゼントを、当たり前のような顔をして受け取ることができたらいいのに。
「きみは普・通・に拘るねぇ」
置かれたイントネーションに含みを感じて顔を上げる。啓悟は私からプレゼントを奪っていった。彼の手の中で、赤い石がチェーンを伝って真ん中へと落ちていく。
「俺は普通にはなれないよ?」
乗り出して、私にネックレスをつけてくれる。とうに分かりきったことを言う彼の顔は、近すぎて見えない。表情を知る術がない。
女ものの繊細な留め具を器用に輪に掛けて、チェーンを指先でなぞって。そんな彼の動きだけで、私の胸元で金色も跳ねた。
「啓悟……」
鎖骨の上を滑った指先はギリギリ触れない一歩手前で、それが尚更彼の意思を含んでいる気がした。ああ、全部お見通しだ。私のことなんて、ちっぽけな不安も何もかも、啓悟には簡単に分かっちゃうんだ。
「これ、剛翼俺でしょ」
啓悟がネックレスのトップを摘まむ。
赤い柘榴石ガーネットは、中でも混じりけのない赤一色。青みを一切感じさせない、可愛らしさなんて何処にもない、気高くて強い深紅の石だった。モニターの写真で見ただけで、この色は彼の剛翼だと思った。
「そういうのは、気がついても言わないで」
自分には迂闊に手が出せそうもないのに、何度も繰り返し見てしまう程に欲しがった。重ねて見ていたことも、啓悟は気付いているに違いない。
ごめんごめん、と謝る気があるのかないのか分からないような軽い謝罪が聞こえてきたのも束の間、啓悟は再び私の首の後ろを弄りだす。留め具を引き、スライド式のチェーンが絞られていく。鎖骨周りを彩っていたネックレスは、すぐにチョーカーに形を変えた。
「首輪みたい」
口調は軽快なのに、何処か乾いていてわざとらしい。短くなったチェーンを喉元でぐっと掴まれた。人間の急所にさえなる箇所を捕らえるかのように。無遠慮に暴きたてることを躊躇しない、猛禽類の目が私を見ている。
束縛する言葉に戦慄した。血が沸騰してるみたいだ。今までこういった形で独占欲を顕わにされたことはなかった。怖いとは思わないけれど、向けられる感情が思っていたよりも遥かに大きかったことに、私自身も昂っているのかもしれない。
「欲しいものは手に入れたくなるし、手に入れたらもう放さない」
啓悟が首と鎖骨の周りを撫で上げている。普段から私よりも高い彼の体温が、ネックレスのせいか、いつもよりも熱く感じた。
軋んだ金属の感覚が肌から伝わってきて、思わず身体がきゅっと竦む。不安を察したのか、啓悟は手と、纏う雰囲気からも力を抜いて。私はというと、離れていく体温にほっとしてしまった。
「何考えてるのか知らないけどさ、恋愛なんてタイミングと偶然の積み重ねだよ」
「え?」
「理由。考えてたんじゃないの?」
前髪をかき上げ、おでこをそのまま撫でられる。さっきとは違って、子どもを宥めるような慈しみに満ちている。
「なまえは俺が必要な時にたまたま近くにいて、欲しい言葉をくれたってこと」
それが何時だったのか、どんな言葉だったのか、啓悟はきっと教えてくれない。出会った時、彼は『ホークス』だったから。私なんか一般人の何かで強く感じることがあったなら、とても過敏になっていた時なんじゃないんだろうか。
ただ、詳しくああだこうだと並べ立てられるより、啓悟の言葉はすとんと私の中に落ちてきた。全部は言わないけど、嘘も言わない。偶然が重なって、私達は今、一緒にいる。
「次はもっと重たいの渡すから、覚悟しとって」
取られた手を――その先の指を、啓悟の視線が這っていく。爪先に落ちたキスと、左の薬指の付け根に走った鈍い痛みが心を溶かす。
啓悟の口が離れた時、一瞬だけ当てられた歯の痕が、見事に刻まれていた。