外で、何か音が聞こえた気がした。
聞き覚えのある、大きな鳥が羽ばたいて空気を切る音だ。カーテンを開くと、はたしてやっぱり。そこには真っ赤な翼があった。存在感、足音、照明の明かり。私の全部ですぐさま気付いた彼は、ばちっと合った視線に口角を上げる。
『どーも。こんばんは』
ペアガラス越しの声は聞こえない。ただ、口の動きだけで彼が言ったのが分かる。申し訳程度にマフラーと上着を装備して窓を開くと、吹きすさぶ風に開けたばかりの窓を閉めたくなった。
「うっひゃぁぁ……さむっ!」
「気温差えげつねぇですよねー」
一歩踏み出しただけで悲鳴を上げる私に、ホークスはけらけら笑った。昨日は上着もいらない位暖かかったのに、今日は気温差のアラートが出ていた位だ。そりゃーホークスはもっと寒い所飛んでるんだろうけども!
「よっく平気だよね、毎日」
「そりゃまあ、仕事柄」
風は冷たく、息を吸うと喉の奥まで切られたようにぴりぴり刺激される。上着の前をあわせて無駄な抵抗を試みるも、冬の風は無情だ。ほっぺたが切れそう。掌でこすった下の頬は、吹かれた風でカラカラに乾いて痛い位だった。
「なまえさんは外に出るのも慣れてなさそうですね」
グローブを履いた手が、私の両方の頬を挟んだ。ぶちゅっと潰されて、突き出た口にホークスは吹き出して、さっき以上に声を上げて笑う。分厚い布のごわごわとした感覚は、甘っちょろくない私たち二人にこれ以上ない位に似合ってる。
「何すんの!」
「いや、やーらかそうだなァって思って」
「鍛えた男より柔らかいの当たり前でしょ!?」
あんまり揶揄かうとヤバいと察して早々に手を引いたホークスに突っかかる。
同僚ではない。知り合いよりは近い。ヒーローとしてのホークスに助けてもらってから始まって、何となく気安い間柄だと思ってるのは多分私だけじゃないと思う。少なくとも、こんな風に接する位には。
「ところで何しに来たの?」
「いや、別に」
「……忙しいんじゃないの?」
「忙しいですよ、そりゃ」
軽口を叩き合うような無意味な応酬が続いて、ホークスは一度バルコニーの外にふいっと顔を逸らした。近くの建物の光が煌いている。吐き出す空気が、二人の間で白く煙る。
「ただ、元気にしてるかなと思って」
彼の台詞に、我が耳を疑った。彼がずっと鼻を啜る音が間抜けに響く。そういう殊勝なこと言うタイプだとは思ってなかった。
「……はぁ」
「なんすか」
思わず吐いてしまった溜息を、耳聡い彼は聞き逃さない。ちょっとだけ険のある言い方に、今度は私が笑ってしまった。
普段から飄々と装っていて、真面目じゃなさそうな感じで、それでも心配してくれたんだなと分かる。きっと、私じゃなくても彼はそうする。心底彼はヒーローだ。
「ううん、ありがとう。私大丈夫だよ?」
「神経図太く見せかけて芯ほっそいクセに何言ってんですか」
吹けば飛びそう。ホークスは言いながら、私の肩口をとんと押した。ふらついただけで腕を掴んでしっかり立たせてくれる。目聡い彼には、色々とバレている。ふさふさの眉毛が斜めに上がって、揺れていた。
「大丈夫。心配してくれる人がいるから」
無茶や無理はしない。世の中を悲観したりもしない。私にはもったいない、かっこいい友だちがいる。へらりと笑うと、容赦ないデコピンが眉間に飛んだ。
ヒーローのデコピンまじ痛い。恨みがましい目で見ると、ホークスは私より渋い顔をしていた。
「寒いんだから、もう入って下さい」
「外に出たのホークスのせいだよね!?」
「遅くにさーせんしたぁ」
「はいはい、お休み!」
絶対悪いなんて思ってない。おでこをさすりながら、彼に背を向ける。
風が吹いて、私のマフラーのフリンジががふわりと舞った。
「ホークス、待って」
「何……」
振り向いて、呼び止める。私が巻いていたマフラーを彼にぐるぐる巻きにしてやった。彼の羽根をグラデーションにしたような薄い紅色は、彼のヒーロースーツには全く似合ってなかった。
「上空もっと寒いでしょ、着けてって」
飛んできたのなら、きっと飛んでいくのだろうから。高度を上げる毎に低くなる気温と、遮るもののない空で、少しでもマシであって欲しい。彼のもこもこの上着や特殊素材が守ってくれるとしても、気持ちだけでもいいから。
「……ありがとうございます」
彼の鼻の先が赤い。この気温じゃ当然だ――私も、きっとそうだ。
ちっとも飄々としてない笑顔なんて、見るんじゃなかった。さっきと同じ羽ばたく音を聞きながら、私は漠然とそう思った。
12/16 ... 『友だち・マフラー(第8回)』
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