「ねぇ、ホークス」
こたつでぬくまっている彼女が、ふと俺を呼んだ。キッチンに並んだ二つのマグカップにはインスタントの粉が入っている。ぼこぼこお湯が湧く音と、パチンとスイッチが切れる音が立て続けに鳴った。
「ねぇ」
布団は膝を立てたフォルムのまま、彼女は顎を乗せてこちらを見ている。もう一度呼ばれて、俺は少しだけ視線を上げた。
「今熱湯使ってるんで、もーちょい待ってもらえませんかね」
「……はぁい」
不満そうな様子を隠すこともせず、顔を反対方向に向けてしまう。何か飲みたいって言ったのも、寒いって言ったのもあなたでしょーが。お湯を注ぐと立ち上る湯気と香りに気を取り直しながら、出来たての飲み物をリビングに運ぶ。
彼女の斜向かいに入ると、じんわりと足元から暖かくなる。同時に、彼女はまたあっちを向いた。
「飲まんの?」
「飲みます」
あっち向いたまま飲めるのか。こたつから這い出てきた手がずるずるとカップを本人の都合のいい場所までずらしている。リクエストに応えて極寒に向かった相手に対して、ちょっとの待てもできずにヘソ曲げるなんてどんな子どもだ。
自分の分に一口つける。まだ熱々のそれをずずっと啜ると、斜め前の髪から覗いた耳が揺れている。俺の様子を探っているのがバレバレで、おかしくなった。喧嘩じゃあるまいし、俺たちは一体何をしているんだろう。
「――なまえさん」
一度名前を呼ぶと、彼女はすぐさま反転して、笑顔を俺に向けてきた。
「なに?」
「……俺の台詞でしょ、それ」
拗ねたのだろうかと思いきや、実にあっさりした終わり方だった。なんて事はない、揶揄かわれただけだったのかもしれない。爪先で華奢な脚をつつくと、小さな声で彼女は笑った。
「こっち向いて欲しかっただけ」
「はぁ」
こっち向いて。そう言われる回数自体、決して少ない訳ではない。なんなら今日も真昼間に地上から女子高生にそう呼びかけられたばかりだった。呼ばれればそちらを向くし、手を振るのだってお手のもの。伊達に知名度と人気は誇っちゃいない。
「分かってくれた?」
そうだとしても、仕事とプライベートって別もんじゃないか?
もう一口、コーヒーを飲む。苦い。今一つ煮え切らない俺の態度に、彼女は眉を困ったように寄せて、笑って。俺と同じように、マグカップに口をつけた。
「あっま! これ、ホークスの!?」
「ああ。……なるほど」
「何が!?」
すぐさま俺のと交換して口直ししている彼女を見ながら、何となく分かった気がした。俺に呼んで欲しくて、わざとあっちを向くなんて子どもっぽいことをした彼女の気持ちが。
「いや。可愛いなーと思って」
「褒めてるように聞こえない」
誰しも、振り向いて欲しいから呼ぶのかもしれない。振り向いて欲しいと俺に思わせたかった彼女も。名前を呼んだだけのつもりで、俺も、こっちを見て欲しいから呼んだのだ。少なくとも、砂糖三つの俺の激甘コーヒーと彼女のを間違える位には。
「俺もまだまだってことです」
普段通りの慣れた甘いコーヒーを飲んでいると、こたつの中で俺の脚がさっきの逆襲を受ける羽目になった。
11/11 ... 『振り向いて(第7回)』
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