いちょう並木

 繋いだ手が、どちらからともなく揺れている。
 ようやく爽やかになり始めた空気は吸い込むと気持ちが良くて、でも、肌寒くもある。薄いカーディガン越しに感じる乾いた空気は、遅めの、きっと短いんだろう秋の到来を感じさせていた。
 瞬時に全身に伝わった寒さにぶるっと身体を震わせると、絡んだ指が一度離れていく。斜め上を仰ぐと、彼は笑っていた。
 
「帰りますか」
 
 その表情がとても穏やかで、私は途端に寂しくなってしまった。眉がきゅっと寄ったのが自分でも分かる。
 優しくて、静かで――更に奥にある、微かな残念さを滲ませないで。大袈裟に言われるよりも遥かに伝わってくる想いに、自分がホークスにとってどれだけ特別で大切なのだろうと自惚れてしまいそうになる。
 
「眉間。シワんなっちゃいますよ」
「やだ。ぶさいく……」
 
 人差し指の先でつつかれた額のすぐ下を、私は隠すように手で押さえた。ははっと軽やかな笑い声がして、一枚二枚、と小さな紅い羽根がふわふわと舞っている。気分がいいと、たまにこうなると私は見ている。
 ついさっきまでの哀愁は何だったのだろう。くるくる変わる様は、彼らしいと言えば彼らしい。
 
「帰りましょ、季節の変わり目は風邪引きやすいって言いますから」
 
 ね、と促される。ダメ押しなんて、駄々をこねる子どもに言い聞かせるみたいで癪に障る。唇が尖ってくのが止められない。さっきよりもっと、不細工に違いない。
 
 だって、私は楽しみにしてたの。
 今日ホークスと約束してたこと。新しい靴を下ろして、期待いっぱいに浮かれて――。それなのに、私はこんなに可愛くなくて、デートはもうおしまいになってしまう。
 
 薄くて柔らかな羽毛が、頬を撫でた。慰めというよりも、これはきっとご機嫌取りだ。空っぽの手をポケットの周りでもぞつかせると、不意に大きな手のひらが私のを覆った。
 
「寒くない?」
 
 指を結びあうより、暖かい。さっきよりも尚、強い力で守ってくれているんだと思えた。ふっと顔から力が抜けて、私はようやく笑うことができた。
 
「ううん。ちょっと、寒い」
「ですよねー」
 
 顔を見あわせて、二人とも笑みを深める。繋いだ手を引かれ、じゃりっと砂を踏む音が変わった。いつも通る道とは、違う方向だった。
 
「ホークス、……わぁ」
 
 上を仰いだ彼の視線を追いかけて、ここが銀杏の木がたくさん植わっていたことを初めて知る。まだ緑を残している先が二つに割れた扇形の葉と、赤みの強い黄色の実が鈴なりになっている。
 何度も来ていたこの場所なのに、季節でないというだけで気が付いていなかった。彼と、足元にたくさん落ちている潰れた実が教えてくれた。
 
「……うわぁ」
 
 近くなればなる程、その臭いはきつくなる。並んだいちょうの並木は、誰が何で実がなるように植えたのか。気に入って買った真新しい靴先に白い果汁の跡がある。
 
「どうかしました?」
「え、っとね。そう、いつもの道とか……」
 
 靴の裏から、砂利を踏みにじる感触が伝わってきて、私の躊躇いを表していた。
 ホークスは一瞬視線を足元に走らせてから、また何も無かったみたいにぎんなんの実をブーツの爪先で蹴っ飛ばした。腐臭にも近い臭いがまた強くなる。
 
「あれ、串焼きにしたら美味しいだろうなァ」
「え、ごめん無理かも」
 
 ホークスが焼き鳥が好きなことを思い出す。でも、ぎんなんは下処理に時間も手間もかかるし、何よりしばらく臭いが取れないからちょっとご遠慮願いたい。
 思考がぎんなんに囚われていると、ふわり、浮遊感に襲われる。
 
「ほ。や、ぇえ……」
 
 突然のことに、呼びたい名前も言葉も、何も意味を成さない。浮いている。正確には、抱きかかえられている。
 いわゆるお姫様抱っこをされているのだと気づいた瞬間にはもう、恥ずかしくて顔を上げられなくなった。
 
「……私、ぎんなんは下ごしらえできない」
「そりゃー残念」
 
 俯いた顔が暑い。好きな人の前で臭うことも、好きな人にこうされることも、平気でいられる感性を私はまだ持ってない。
 絞り出した声に自分の希望を一蹴されても特に気分を害した風でもなく、彼はさらりと受け流す。
 
「知ってましたけどね」
 
 普段よりも近い所から彼の声が聞こえている。ぎんなんの話題なんて出したこともないのに、何を知ってるって言うの。思わず睨め付けた私を、訳知り顔のホークスが見つめ返している。
 
 暇んなったら俺がご馳走します。付け加えられた言葉に、私は思わず両手で顔を覆って笑い出してしまった。
 水につけて、ゴム手袋して実を崩して中身を取り出して殻を割るあの作業を、彼がするんだろうか。まさか、そんな。
 
 赤くなった顔を見せたくないなんて恥ずかしさも忘れて、声を上げて笑う。
 黄色と緑の入り交じったグラデーションをそのまま映したような空が、紅と一緒に視界いっぱいに広がっていた。

10/14 ... 『いちょう並木(第6回)』
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