夏のきざし

 ぷわりと勝手に浮いてきた汗を腕でぬぐう。
 まだ五月も半ばに差しかかろうという時期なのに、陽射しは強い。敵捕獲と一仕事終えてようやくベンチに座ると、少しばかりの疲労と気温の高さがじわじわと身体に沁みてくる。
 あー疲れた。ほんなこつ、手こずらせよってからに。
 沈んだ後頭部のてっぺんに、軽い衝撃が来る。思わず顔を上げると、硬い何かがブレてこつんと当たった。
 
「やだ。ごめんなさい。痛くなかった?」
「こん位大丈夫です。ヒーローなめんで下さい」
 
 ちっとも悪いと思ってなさそうな笑顔を、なまえさんは浮かべている。俺の前に立っていた人は、普段なら空調の利いたオフィスにいる人だ。目を瞬かせる。本来は事務方の人が、何でこんな所に。降って湧いた疑問は、口に出せば余裕のなさがバレそうで何とか呑み込んだ。俺の答えには、それもそうだね、と緩やかな呟きが返っている。
 
「これ、くれるんすか」
「私のだけど、差し上げましょう」
「へぇ?」
 
 黄色いパッケージに黒いアルファベットで描かれた文字。色合い自体がばッきばきの極彩色で目に痛い。激甘で全国に名を轟かす缶コーヒーは、俺がよく飲んでるやつだ。甘っクスとまで言われる極甘な飲料を日常的に愛飲してる社会人を俺は他に知らないし、近くの自販機にはないはずだ。これは、本当になまえさんのものなんだろうか。
 
「嘘。ホークスにあげる」
 
 眉が僅かに動く。訳知り顔をしたバチか、首筋に当てられた缶は思っていた以上に冷たかった。びくっと強張る俺に彼女は声を漏らして笑って、隣に座る。
 
 カシッとプルタブを開ける音は思っていた以上に清々しく周囲に響いた。
 一騒動後で、まだ多くの人でごった返していて、埃っぽい。そんな中で呑気にベンチに座って缶コーヒー飲んでるとか。やる気がないというか、別世界にいるような感覚というか。揃って不真面目だと怒られそうだ。
 
「暑くなってきたねぇ」
 
 陽射しは強い。じりじりと肌を灼く。素肌が紫外線に刺されるような感覚が、季節が変わっていくことを体感させる。真横に座る彼女の至近距離にも、じわじわと侵されていくようだった。
 
「ホークス、暑くないの?」
「まぁ、暑くないとは言いませんけど」
 
 つん、と腕の辺りを細い指先がつつく。分厚い素材でできた上にファーまでついた俺のヒーロースーツが涼しい訳がないでしょうに。効率重視な上に着慣れてるだけです。何となく突っ込みかねて、歯切れの悪い答えになる。
 
「上空で薄着してると、パフォーマンス落ちるんで」
「それもそうだね」
「……さっきも言いませんでした? ソレ」
「そうだっけ? 素直なだけだよ」
 
 剛翼を使うことを前提にしたスーツだから、仕方ない。露出部分は少ない方が負傷の度合いだって低くなるし、当たり前のことだ。いちいち疑問をぶつけられ、答え、納得される。何とも気の抜けるやりとりを、多分俺たちは何回もしてる。
 
「私、絶対無理。ヒーローって大変だよね、すごいし」
「そっすか……」
 
 ヒーロー皆まとめて大変とすごいでまとめられてしまった。
 口をつけた缶コーヒーを飲み込むと、冷たい液体が喉の奥を流れていく感覚までよく分かった。冷たい。そして、甘い。喉に張り付きそうな程の練乳の甘さ。これが、俺は嫌いではないのだ。
 
「本当だよ。もー我慢できない」
「え」
 
 何が、なんて聞く間もない。彼女は、着ていたジャケットを躊躇なく――というよりむしろ、勢いよく脱ぎさった。目の前で翻ったジャケットは陽に透けない、いかにも夏用の仕立てではなさそうなやつだった。あーこりゃ今日は暑いわ。よく着てたもんだ。その瞬間だけ、自分の恰好を棚に上げて気の毒に思った。
 
「あーすっきりー!」
「そっすねー」
 
 ははは、と感慨もなさそうな笑い声を上げてみせながら、彼女を見る。見て、目を剥いた。白い肌が眩しい。揺れる腕の肉が目に痛い。
 
「ノースリはダメでしょ!?」
「は?」
 
 何考えてんだ、この人。いや。だめだ、この人自覚が全くない。無防備に驚いてる彼女の方が俺は信じられない。
 基本的に仕事第一な人だから油断していた。職場で肌さらすようなことはしない。上着の下が二の腕丸出しとか。
 
「まだ五月なのに、何でスーツの下が袖なしなんスか!」
「あっついじゃん!」
 
 喰いつくと、不満タラタラで反論してくる。そういう問題じゃない。そこは見られたくないとか言って恥じらってて欲しかった。その他大勢の前では。
 
「こんな男たくさんいる所で見せちゃダメです」
「どうせ引き締まった腕してないから誰も見ないよ」
 
 口を尖らせて自分の二の腕の肉を摘まんで見せる。贅肉がたぷたぷと揺れている。
 止めてくれ、本当に。まだたくさん人がいるんだから。この人に白い肌とか言っても、私そんなに色白くないとか返されるんだ、きっと。
 脇に置いた缶が硬質な音を立てて、コーヒーの飛沫が跳ねた。彼女がそれに気を取られてる隙に、脱いだ俺の上着を彼女に掛ける。ぐっと両肩を持って、真正面から向き合うと、驚いたように口が薄く開いている。
 なまえさん。一度、彼女の名前を呼ぶ。
 
「男ってのは、それがいいんです」
 
 分かりました? 神妙に聞いた俺に、彼女は何度か首を縦に振った。
 ようやく安心して、力が抜ける。同時に、吹き抜けた風が何とも言えず爽やかで、ジャケットを羽織っていないだけで楽なことに気が付いた。涼しくて、気持ちいい。
 彼女はそんな俺に気が付いたのか、笑って、ねぇホークス、と呼んだ。
 
「やっぱり暑いね、コレ」
 
 肩から掛けただけのぶ厚い服を、手で合わせている。大事なものを離さないみたいに、きゅっと。言ってることとやってることがちぐはぐ過ぎる。でも、たまらなく眩しい。
 どろりとまとわりつくような甘さ。これが、俺は嫌いではないのだ。

5/13 ... 『夏のきざし(第1回)』
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