しゃきっ、と鋏が布を裂く。端を切り、結び、二つに割けた部分を回してまた結ぶ。差し出された太くて逞しい腕は、片腕を持ち上げるだけで重たかった。
「はい、終わりましたよ」
「うむ。かたじけない」
私の言葉を契機に、患者が立ち上がって腕を回す。しっかりと巻いた包帯は解けることも緩むこともなかったが、縫う程の裂傷を軽く見られてはたまらない。常人ならば入院してもおかしくなかったというのに、この方は。
「炎柱さま」
「いや、身体が鈍なまってしまいそうでな!」
さすがに顔を顰めて彼を嗜める。この屋敷の主さまには遥か遠く及ばないが、来訪者の身体と健康を支える身としては一言申さずにいられようか。
蝶屋敷に来る患者の内、常連柱になればなる程言うことを聞いてくれない。その上、治癒力が人間離れしていて重篤な筈がすぐに治ってしまうものだから、舐めてかかっていると疑うのも仕方ない。
呆れ半分、心配半分。ふぅと溜息を漏らしたところで、この方々にはちっとも影響はないのだろう。
「今は鈍る位でちょうどよろしいです。変に動かしませんように」
しのぶさまが作られた炎柱さまの治療履歴カルテの一番下に、今日の処置を書き加える。彼の履歴は、とりわけ多い――いや、柱の方々は長く前線で努めておられる分、皆さま他の隊士よりも怪我をする機会も回数も増えていくものだ。そっと紙の文字を手でなぞって、感謝をした。
「……なにか?」
履歴に気を取られていたせいで、目の前の患者を置き去りにしていたことを思い出す。大きなぎょろぎょろとした目が、不思議そうに私を見ていた。
「鈍っていいという考えはしたことがなかった」
「はぁ。然様でございますか」
こちらとしては、発言に対する流れの返答でしかなかったのだが、どうも彼には引っ掛かる部分があったらしい。立ったままで顎に手を添え考えだす炎柱に座るよう促すと、彼は思いの外素直に着座した。何かそんなにおかしなことを自分は言っただろうか。
「動けないと困るだろう」
「そうですね、柱の方々は主戦力でいらっしゃいますから」
「ならば何故」
何故、と問われても困る。
鬼殺隊は鬼に対抗する武装集団だ。その中心であり最も力のある方々が柱であることは私も承知している。彼らは他の隊士と比べて頭数百飛び出ているのではと思う程に差は開いている。現場としては早い復帰が望まれるのは自明ではある。しかし。
「私は隊士ではありませんから、身体のことを第一に思ったことを申し上げています」
手練れの呼吸使いともなれば、驚異的な速さで治っていく。それは誰しも当たり前な認識だからこそ、本人も周囲も気に留めない。治癒が速いことは良いことだが、無理をしていい訳でもないだろう。治療の末端に携わる人間としては、可能な限り安静にしていて欲しいものだ。
「本領が発揮できない時に何かあれば、誰も幸せになりません」
私は、余った木綿のさらしを手の中でくるくると巻いた。この方の目は飲み込まれそうな程に大きく、真っすぐ彼を見ることができない。
組織の中でも大幹部である柱に、偉そうな口を利いた。躊躇いと後ろ暗さと、言い過ぎたかなという不安と。手慰みは、すぐになくなってしまった。
「そうだな」
「え?」
「君の言う通りだ」
そんな悠長なことを言っていられる立場ではないと、分かっている。人材は少なく、階級の高い者は尚更だ。彼はきっと戦うことを止めないし、事態が切迫すれば怪我を押しても行くだろう。そこ優先順位を違える方ではない。
「意外か」
「……はい」
一瞬迷って頷く。彼をちらっと見上げると、私を見て笑っているのが分かった。
彼は曲げない――けれど、私の気持ちを尊重してくれた。私のような立場の人間がどう感じるのか理解しようとしてくれたのだな、と分かった。
「君は正直でいい」
「……私は、」
正直なのだろうか。口ごもり、頬の内側を噛んだ。目の前の方の、怪我をしていない方の腕がにゅっと伸びてきて私の頭を叩く。
「君がそう思うのは当然だ。ありがたいことだと思っている」
「炎柱さま」
お節介だ、と突っぱねないのがこの方なのだ。彼は彼であり、人は人であり、好意や心配を真っ直ぐに受け取ってくれる。太陽のような人、という形容がぴったりな。端の者として、彼のような上役を支えられるのは望外の喜びだと思った。
「明日もまた君がしてくれるのか?」
「まだ拙いですが……」
「問題ない。しっかりできているぞ」
見せるように、包帯の巻いた腕を叩く。思っていたより大きな音がしてお互い顔を見合わせて――笑いあった。あれは、きっと絶対に、痛かったに違いない。
「また明日、頼む」
「はい。また明日、お待ちしております」
次の約束を交わし、それぞれの日常に戻っていく。
また、明日――。
7/6 ... 『また明日』
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