朝起きると、左手の薬指に見慣れない指輪モノがはまっていた。
「何これ……」
視界に入ってきたものをベッドの中でじっと見つめる。銀色のリングはきらきら光る小さな石が一粒付いている位のもので、艶のない質感だけが際立っている。飾り気のないシンプルさは、彼が選んだのなら『らしい』と言えばそうだった。
何で今日なのだろう。指輪を撫でると硬質な冷たさと同時にとろけるような感覚さえして少し面映ゆい。
朝陽がカーテンの隙間から漏れている。薄暗い、けれど仄かに明るい。胸の奥がむずむずとして、ぽっと種火が灯ったなまえの気持ちを反映しているような感じがした。
「きょーじゅろ?」
そろりと後ろを振り向くと、昨晩から誕生日の前乗りとばかりにやって来て泊まっていった恋人はまだ平穏に眠っている。抱きすくめたなまえが起きても目覚めないのは、寝起きのいい彼にしては珍しい。
「ああ。……おはよう」
ゆっくりと瞼が開いて紅い瞳が見え隠れする。掠れて明瞭ではない声と何度か瞬きをしている様が、彼が覚醒しきっていないことを物語っていた。
「まだ眠い?」
「少しな」
「コーヒー淹れようか」
「いらない。……まだ、いいだろう?」
なまえの背後、挟まった肢あしの間で杏寿郎が身じろいでいる。背に顔を押し付けられ、生暖かな呼気を感じた。
むずかる子どものような動きに、思わず苦笑してしまった。きっと他の人には見せない一面は可愛いけれど、今日は残念ながら平日だ。
「杏寿郎さん?」
「何だ」
くすくすと漏れる声は、どうしたって殺せない。腹に回された太い腕を優しく叩く。
彼はようやく肩口から顔を見せ、やや視線を下げたなまえとぱちりと視線が合う。しっかりと開かれた瞳が、彼の意識がもうはっきりしていることを告げていた。
「妖精さんでも来てたんだと思います?」
「さて。なまえはそういうのを信じる性質だったのか」
右手を杏寿郎の面前でかざしてやると、彼は笑った。こちらが恥ずかしくなる程に、臆面もない。
「まさか。普通、逆じゃない? 今日誕生日なの、杏寿郎だよ?」
「そうだな」
今日が誕生日なのは、彼の方だ。今日の夜には二人で食事に行く予定だし、お店も渡したいものも準備は済んでいる。まさか自分が何か貰うとは思ってもみなかった。
「君は、もう用意してくれてるんだろうとは思ったが」
後ろから伸びてきた彼のごつごつした大きな手が自分のそれに重なる。節のある指が、するりと薬指をくすぐるように撫でていく。
「この先ずっと、君が欲しい」
彼の目の前は、自分の目の前だ。甘やかに滑る指先が再びなまえの小さな掌を握り込み、彼の顔が降りて唇を落とされるまで、全てがつぶさに見えていた。ちゅ、と微かに響いた濡れた音さえもはっきりと耳に届く。
「…………ずっる」
かぁっと頬が熱くなる。体温が上がったことも、心臓がばくばくと悲鳴を上げていることだって、密着している彼には筒抜けだろう。その反対だって――。
「そういうのは、自分がねだれる時に言わないで」
手を振りほどいて、掴まれていた手を隠すように胸元で抱いた。反対の手で触れた金属の冷たさが気持ちよくて、嬉しくて、でも少し癪に障る。
権利として、行使しないで欲しい。誕生日は特別な日だし、尽くして出来る限りで喜ばせてあげたい。けれど、二人の大切なこととは話が別だ。
「これでも、一世一代の告白のつもりだったんだが」
「分かってる」
「そうか」
誕生日の告白をすげなく断られたとは思えない表情だった。無念さは伝わってこない。寧ろ満足げで、包み込むように優しい。
「誕生日じゃなくて。そしたら、」
彼の腕にそっと手を添える。隙間なくくっついた身体は、ずっと彼の速い鼓動も伝えていた。気持ちは、きちんと伝わっている。
「……ちゃんと、あげるから」
消え入りそうな小さな声で呟く。自分の想いも、伝われ。
願いは、苦しいまでの抱擁にかき消された。
2022 Happy birth day!