片恋 (2)

「ねぇ、呑みに行くんじゃなかったっけ」
 
 花の金曜日。
 同期かつ友人に飲みに行こうと誘われて来てみれば、そこは確かに居酒屋だった。しかし、通された席はやけに大きく、顔だけ知っているような女子が二人並んで座っている。彼女らの横二つと向かい側は空席で、どう見ても個人的に飲むような配置ではない。
 
「いいじゃん、異業種交流会」
 
 何とも体の良い言葉に置き換えられた、要するにただの合コンだろう。半眼で友人を睨み付ける。少なくとも、嘘を吐かれて連れて来られるのはなまえだって不本意だ。
 
「私、帰る。興味ない」
「待って待って!」
 
 積極的に男女が対面で会話すること自体がそもそも苦手だ。中には感じのいい人間もいるが、如何にもギラついた視線を向けられて自分を吟味されたこともある。残念なことに、なまえの数少ない経験は碌なものではなかった。
 
「どうしても数合わせで一人いて欲しいんだって!」
 
 素気無く言い捨て、踵を返そうとしたところを必死の形相で止められる。聞けば当日午後になってキャンセルした迷惑な人間がいたらしい。合コンで人数が余るなんて、幹事の面目はどちらも丸つぶれだろう。
 
「いるだけだからね!?」
 
 配属同期というものは縁が強く、やはり重要な存在であることに間違いはない。顔を立てる位はしてやらないでもない、と思えば後は石像になるだけだ。暗に新しい出会いを探すつもりがないことを匂わせ、肩に掛けていた鞄を椅子に乱暴に置く。
 
「なまえもさぁ、いい加減昔の片思い引き摺るの止めたら?」
 
 なまえの台詞の意味を正しく理解した友人は、呆れたように溜息を吐く。新人研修時代に暴露させられた過去の恋バナを、彼女もよく覚えている。
 高校時代の、告白すらできなかった片思いは不完全燃焼なままなまえの中で燻っている。あれから、誰かと付き合うことがあっても長続きした試しがなかった。
 
「……好きになれるような人と会わないだけだし」
 
 彼は、鮮烈過ぎたのだ。芯の強さをそのまま映したような、大きな目。見た目も中身も、お日様のような少年だった。
 彼以上に惹かれ、好きになれるような人なんて、きっといない。たまに見せる翳りすら、女子高生だったなまえの心を掴んで離さなかった。
 
「何か、ごめん」
 
 拙い言い訳に即座に謝られ、恥ずかしさがふつふつと湧いてくる。自分でも相当拗らせていると分かっている。
 
「職場と家の往復で新たな出会いがある訳ないんだから、たまにはいい機会だと思って」
 
 慰めにもならないような慰めだが、好意は嬉しかった。久々に思い出した深く沈めていた恋心は、結局いつかは諦めなければならない。幾ら恋い焦がれたところで、なまえにはもう、彼に会う術はないのだから。一番手っ取り早いのは言うまでもなく『新しい恋』で、彼女はそれを指し示してくれている。
 
「ん……」
 
 ありがとう、と短く礼を言って、なまえは薄く笑んだ。色々なものを諦めて、理不尽を知って、濁って――年を重ねてきた。なまえだってもう、夢は見ていない。
 
「よーォ、待たせたな!」
 
 居酒屋の喧騒に負けない位大きく響いた声に振り向くと、他より頭一つは飛び出していそうなイケメンが立っていた。背の高さも、顔の造形の綺麗さも際立っている上に感じが良い。
 言葉を失って思わず友人を見やると、彼女はにやにやとしたり顔で笑っている。他の女性陣も目が彼に釘付けだ。
 
「宇髄さん、おっそい! 男性が遅刻は駄目じゃないですか?」
「悪い悪い、年度初めは忙しくてよ」
「それ、何処も一緒でしょう」
 
 どういう繋がりで同期が宇髄と呼ばれた彼と知り合ったのだろうか。不思議に思いながら、それなりの親しさで会話を交わす二人から他の男性に目を移していった。そして、一人の男の容姿に目を奪われる。彼の強さと意思を秘めた目が、なまえと同じ瞬間、同じように大きく見開かれた。
 陽光が溶け込んだような瞳と、暖かさすら感じそうな髪。  どくん、と心臓が大きく鳴った。ときめきなんて甘やかなものではなく、それは余りにも激しくなまえを揺さぶって、心が締め付けられるように痛む。
 
「……煉獄、君?」
 
 声を出せば震えそうになるのを、何とか堪えた。二度と会えないと思った、その人の名前を呼ぶ。
 
「みょうじ」
 
 彼もまた、なまえの名前を呼んだ。なまえが彼の名前を呼んだからか、彼は確信しているようだった。
 細められた目が、自分を真っ直ぐに捉えている。驚きが喜びに変わる瞬間をまざまざと見てしまえば、胸を刺していた痛みは途端に消えて柔らかくときめき始めた。彼がこんなだから、自分は何時まで経っても彼への想いを断ち切れない。
 
「みょうじ。俺は、」
 
 何事かを言い掛けて、ふと止める。逡巡するように顎に手で触れたのも一瞬、彼は幹事の方に勢いよく顔を向けた。
 
「宇髄、俺は彼女と抜ける!」
「はぁ!? 何言ってやがる、来たばっかだろうが」
 
 余りにも堂々とした離脱宣言に、宇髄が目を剥く。まだ合コンは始まってすらいない。判断の速さと明快さは彼に恋していたあの頃のままで、胸が疼いた。
 
「俺は人数合わせで呼ばれたんだろう? 男女一人ずつ抜ければ問題ない!」
「あるだろ!」
 
 数の不均等は起こらないが、そういう問題ではないだろう。端から眼中に無いと言っているも同じで、他の女性の立場も無い。宇髄が驚くのも反対の意を隠さないのも尤もだ。それでも、宇髄と話している最中さえ時折自分に向けられる視線に気が付いてしまった。
 お互いの目が合えば、眉尻を下げた優し気な彼の表情に撃ち抜かれる。せめて一次会が終わるまではと思うのに、心臓がいつもより早く強く打つ自分を自覚せざるを得ない。
 
「いいですよ」
 
 帰る帰るなと言い合っている男二人の間に、なまえの友人が割って入った。その場にいた関係者全員の視線を一身に浴びても、彼女は少しも動じることなくにっこりと微笑んでいる。
 
「煉獄さんですよね。いいですよ、なまえ連れてっても」
 
 連れてけ、と言わんばかりに親指で入口の方を指し示す。その場の最終決定権は女性側幹事にあるようなもので、その彼女にゴーサインを出されれば宇髄も引き下がらない理由もなかったのだろう。舌打ち一つですんなり収める辺り、彼も中々人が好い。
 
「感謝する。みょうじ、行こう!」
 
 破顔一笑、とは正にこのことか。同期に律儀な礼をして、杏寿郎はなまえの手首を掴んだ。
 
「えっ? えっ、ちょ……っ、煉獄君!」
 
 高校生の時にさえなかった至近距離の接触に、触れられた所から自分の想いがまろび出そうだ。痛くはない、けれど振り払えなさそうな位にがっちりと握られた手が熱い。
 まともな反応ができてない隙に店を連れ出されながら、なまえは友人が二本の指を絡ませたのを見た。

『悠久の月に輝く君へ3』