私と彼の間の (1)

「ごめん、お先でした~」
 
 シャワーを浴びて戻ると、ソファでくつろいでいた恋人は眠ってしまったらしい。もふもふの、大きなライオンを腕に。
 どちらかと言うとがっしりとした逞しい部類に含まれる成人男性が、後ろから包み込むようにぬいぐるみを抱いている。そっと添えられた片手は、彼がこれをそれなりに丁寧に扱ってくれた証だ。
 
「きょー、……じゅ、ろ?」
 
 濡れた髪を拭いていた手を止めて、そーっと近付いてみる。日々体力の有り余っている高校生を相手にして疲れているのだろうか。眠りが普段よりも深い気がした。
 ソファの傍らに屈んで彼の顔を覗き込んでみると、うっすら日に焼けた頬を明るい色の髪が縁取っている。
 
 普段は自分が抱き締めているこの獅子を、何故彼が抱きかかえてみようと思ったのか見当もつかない。ただ、自分の大切な人が自分の大事なものと寝ているというのは、なかなかになまえの女心や母性をくすぐってきた。
 外し忘れた彼のブルーライトカットの眼鏡に指先を掛ける。鼻あてが揺れ、プラスチックが擦れる音がする。途端にぱちっと開いた赫い瞳に、大きく心臓が跳ねた。
 
「すまない。眠っていたか!」
「本当に寝てたの!? びっくりさせないでよ」
 
 すぐさま引っ込めようとした手をがしりと掴まれる。つい今しがたまで眠っていたとは思えない反応速度に舌を巻く。彼は本当は起きていたのに、目を閉じて振りだけしていたんじゃないだろうか。
 
「俺の寝起きがいいのは今に始まったことじゃないだろう」
「そうだけど!」
 
 しっかり取られた腕は、少々力を込めた位では逃れられない。お互い本気ではなく、痛くもない。しかし、普段なら解ける具合では叶わない。なまえの腕の関節がきしりと鳴った。
 こういう男女の力の差を思い知らせるようなことを、本来なら彼はしない。する時は、大体『揶揄かう』か『追い詰める』かのどちらかだ。
 
「外そうとしてくれたんじゃないのか?」
「起きてるなら掛けたままでいいと思う」
 
 そのコ抱えたままで止めてよね、と文句一つを付け加えるようにして言うと、彼は声を上げて笑った。解放された腕をなまえはぱっと後ろに回し、半眼で睨め付ける。どうせ、絶対に杏寿郎には通じない。彼は、やはり気にした風もなく、ソファに片手をついて身体を起こした。
 
「君はこれを大層可愛がっているんだな」
「そう?」
 
 ソファに深く腰掛けたまま、杏寿郎はぬいぐるみを抱き締め直した。なまえは自分の頬の筋肉が微かに動いた気がして、瞬きしながら気を紛らわそうとする。
 
「寝る時も一緒だろう。普段はベッドにある」
「まぁ、」
 
 彼が遊びに来る時にはソファが定位置のこのぬいぐるみのことを、よくよく観察しているらしい。杏寿郎は毛の長いふわふわのたてがみをくすぐるように撫で、脚を弄っている。何だかとてもわざとらしい。
 
「どうしてだろうなぁ?」
 
 ライオンを愛でた手と目を、なまえに向ける。彼の視線が粘ついている。到達してやんわり取られた腕を、杏寿郎の武骨な指が撫でた。
 
「存外、ぬいぐるみを抱いて撫でるのは気持ちがいい」
「~~~~っ、意地悪!」
 
 耐えかねて叫んだなまえに、彼は一声上げて笑った。ぐっと引かれて、ライオン越しに杏寿郎の腕の中にすっぽりと収まる。
 
「次は、君に似た動物のものを買いに行こうか」
 
「……私が選んでもいい?」
「ああ。君が選ぶといい」
 
 無言で頷いただけのなまえの頭に、杏寿郎は顔を埋めてくつくつと笑った。彼の手の甲をつねると、後ろに感じる体温が更に大きく揺れる。
 
「杏寿郎!」
 
 抗議の声に、杏寿郎は整えるように息を大きく一度だけ吐いた。はぁ、と吐息の音だけが耳に残る。後ろを振り向き、目が合うと、彼はにっこりと笑って二人の間にあったぬいぐるみを引き抜いた。
 
 彼の熱を僅かばかり残していたライオンがいなくなると、体温を直に感じる。先程とは違う理由で、なまえの鼓動が速くなっていく。
 
「さて、なまえ」
 
 ソファの片隅に置かれたライオンを視線だけで追うと、杏寿郎は顔を近くまで寄せてくる。青みがかったレンズ越しでも感じられる。彼の瞳の中に、赫い炎を見た気がした。
 
「俺はもう、あのコを抱えていないんだが。――眼鏡を、外してくれないか?」
 
 告げられた最後通牒に、なまえは観念して彼の眼鏡のつるに両手を掛けた。

Event:Secret party
『煉獄杏寿郎×ぬいぐるみ(第7回)』に加筆修正