— side. β —
プラントには、婚姻統制という制度がある。
第一世代ならばともかく、第二世代では子供は限られた相性の良い遺伝子の持ち主としか作れない。指定された相手としか、結婚できない。
それがどうしたというのか、バカバカしい。軍属となった以上、恋だの何だのに費やす時間もなければ余裕もない。そこらの呑気に生きている民間人とは俺は違う。
選ばれるパートナーは、自分と同等。ならば、探す必要もない。アスランだってラクス嬢と婚約したんだ。
――俺にも、順当な相手が見つかるに決まっている。
— side. β —
プラントには、婚姻統制という制度がある。
第一世代ならばともかく、第二世代では子供は限られた相性の良い遺伝子の持ち主としか作れない。指定された相手としか、結婚できない。
それがどうしたというのか、バカバカしい。
軍属となった以上、恋だの何だのに費やす時間もなければ余裕もない。そこらの呑気に生きている民間人とは俺は違う。
選ばれるパートナーは、自分と同等。ならば、探す必要もない。アスランだってラクス嬢と婚約したんだ。
――俺にも、順当な相手が見つかるに決まっている。
▽
訓練が終わり自室へ戻ると、机上のモバイルが光っていた。
ちかちかと点滅する青い光に思い当たる節は『あれ』しかない。画面を見れば母の不在着信が残っており、想像通りの現実にイザークは溜息を吐きたくなった。
世間では怜悧な女性評議員の名を欲しいままにしている母は、ことイザークに関してだけは過干渉気味でやや暴走する傾向すらある人である。イザークは自分の母を敬愛し、親愛の情も十二分に持っており、口に出すことはなくとも母へ感謝もしているが、これだけは面倒としか言いようがない。
あの母をして、今イザークがいるのは士官アカデミーであり専らの時間は軍事訓練に充てられていることを理解している。連絡ならば休日に寄越してくるもので、そうでない場合の用件は大概ロクでもないと相場が決まっている。
「…………チッ」
端末を手にし、画面上を滑らせた指をぴたりと止める。本人が目の前にいないのをいいことに、舌打ちを一つ。これからの攻防に、気合は必要だ。はーっと深い息を吐き、意を決してリダイヤルを操作する。
何度かの呼出音の後に、自分とよく似たアイスブルーの瞳が画面に映し出された。
『あら、早かったのね』
朗らかに笑う母は、明らかに機嫌が良い。あ・れ・が用件の時の母はいつもこうだ。イザークはやや警戒心を強めながら、頷いた。
「申し訳ありません、先程終わったものですから」
『いいのよ、訓練中ですもの。久し振りね、よく顔を見せてちょうだい』
「はい、母上」
ここで普通の息子を思う母の顔を出してくる辺り、タチが悪い。
そう、悪い人ではないのだ。大切に育てて貰ったことも、愛されていることもよく分かっている。ふっと緊張を緩め、向こうからよく見えるように端末の位置を調整すると、母も柔らかな表情を覗かせる。
『ところで。私からのメッセージ、確認したかしら?』
穏やかな雰囲気は、一瞬だった。ぴしりと通信越しの二人の間に緊張が走る。母は既に先程までの慈愛に満ちた母ではない。
「メッセージ? いえ、まだ何も……」
言われて初めて着信以外の通知が来ていたことに気が付く。確認するべく端末の操作をしていくと、確かに一通の未読メッセージがあった。
イザークがタイトルにFw.転送の文字がついたそれをタップするのと、母の爆弾発言はほぼ同時だった。
『手短に言うと、貴方の結婚する相手が決まったのよ』
「はぁ。……はぁ!?」
脊髄反射で頷いたところで遅れて内容が脳まで到達し、イザークは思わず遠慮なしに叫んでいた。まともに大声を喰らった母が顔を顰めている。
『何を驚いているの。珍しいことじゃないでしょう』
「そうは言っても、母上! 何かこう、色々なものを飛ばしていませんか!?」
あの母がとうとう強硬手段に出たかと背筋に冷たいものが走る。
今までも、色々様々なことがあった。十五の歳からサロンだ何処ぞのお嬢さんの紹介だと連れ回されるようになって早一年。イザークも、最早面倒くさいと適当にあしらっていることは否定しない。
しかし今までは少なくとも、形だけの出会い位は取り繕われていたのだ。
『政略的なものではないのだから、仕様がないでしょう?』
落ち着きなさい、と嗜めるように殊更ゆっくりとした口調で言い聞かせられる。まるで幼児の扱いに、反面頭は冷えていく。
「まさか、婚姻統制の方ですか」
プラントの婚姻統制は、遺伝子の適合性が何より重視される。遺伝子の型が合わなければ、受精しても子供は生まれない。
そこに除外されるのは不可能ではないことを担保にした、名家同士の政略結婚位だ。
コーディネイターの遺伝子のことを分かっていてこそ、ジュール家の跡取りの自覚あってこそ、イザークは特に自分の相手に興味はなかった。
『誰か』の為に家やプラントを捨てるようなことは有り得ない。それならば、ただ遺伝子上の相性が良ければいいし、家の為になれば尚良い。漠然と、そんな冷めた想いしか持っていない。
『貴方の相手は、マティウス市のなまえ・みょうじ嬢です』
組み合わせで決められ、母がその気なら今回は逃れられまい。
元々、断固として拒否したかった訳ではないのだから。嘆息し、モバイルの画面に視線を向けた。母の言った『なまえ・みょうじ』は、東洋交じりの濃い髪色が印象的な少女だった。
「みょうじというのは、その。余り聞いたことがありませんが」
自分の出身市のカレッジに通う、自分と同じ年頃の少女。母は早逝。感慨は湧かないし自分の好みともつかないが、不思議なことに何処となく興味は惹かれる。
『貴方、ミハイル・みょうじ氏をご存知?』
「……はぁ」
そもそもみょうじ家というのが記憶にない。評議会に名を連ねるような議員の中にも、母にあちこち連れ回された社交界の中でも聞いたことがない。
眉は緩く持ち上がったまま、イザークは簡潔に纏められた彼女の資料に目を通しながら、母の問掛けにも生返事をする。
『なかなか良い絵本を書かれる方よ。昨年児童文学の章を取っておいでだわ』
「絵本? 絵本の他には、何か」
『いいえ、特に』
きっぱりと断じられ、イザークの思考回路が停止しそうになった。
まさか本当に、優秀な人物の輩出もない――ただの一般庶民の家なのか。自分と同等の遺伝子の持ち主が。それが、どれ程イザークにとって屈辱的か。
「……っは――」
その瞬間に、自分の中にあらゆる負の感情が沸き起こった気がした。
プラント最高の歌姫を婚約者に持つアスランに対する劣等感と、お前はその程度だと遠回しに突き付けられたかのような。
『イザーク』
一度、母が自分の名を呼んだ。自分と同じ瞳がこちらを伺うように見ている。伺わずとも、母にはきっと全てお見通しであるに違いない。
『貴方まさか……家名だけで決めつけるようなこと、する訳ではないでしょうね?』
誰でも良かったなどと言うのは、ただの自己欺瞞だ。思い上がりも甚だしい。薄く開いた口が空気を吸い、ひゅっと喉で音を立てる。
『婚約を前提に、次の休みは帰ってなまえ嬢に会うように。これは決定事項です』
「えっ、ちょっ。母上! まだ話は――」
シュッとエアが抜ける音と共に背後の扉が開く。後ろを振り向く間もなく、母を呼び止めることもできず、無情にも画面が暗転した。もう項垂れるしかない。
「え、何イザーク。お前婚約すんの?」
「俺が知るかッ!」
一番聞かれたくなかった同室の親友ににやついた顔で尋ねられ、怒鳴り返す。八つ当たりに等しいが、正直こっちが聞きたい。
最高評議会、急進派でも次席にあるような評議員のエザリアと、若くしてザフトに入隊したイザーク。プラントの中でも指折りの名家の自分が。
絵本作家の父と専門学校に通う学生のなまえ。母亡き後、慎ましく静かに暮らしていた、平凡を絵にかいたような父子家庭の彼女と。
――将来、結婚する!?
それは、青天の霹靂以外の何物でもなかった。