「二度と俺の前に顔を見せるな」
背けられ横顔しか見えなくても、それが歪んでいたとしても、なまえには綺麗だとしか思えなかった。
アイスブルーの瞳が翳り、白銀の睫毛が揺れているように見えたのは視界が悪い中での自分の気のせいだろうか。それは、ただの思い上がりだろうか。
「分かってる」
彼の立場も、なまえがこれからやろうとしていることでどうなるかも、全部――そう、全てだ。
嫌になる位に考え、そして決断した。その強さを自分にくれたのは、彼だ。
しかし、それでも彼からの別離の言葉は酷く胸を抉った。
離れることを選んだのは自分だというのに、喉が詰まったように苦しい。心臓が鳴っている。彼には気付かないで欲しかった。口を開き、ふっと息を吐く。
「さよなら、イザーク」
絞り出した声は情けない位に小さい。自分の震える声を彼に聞かれたくなかったのかもしれない。こんな風に、真っ向から別れを告げるつもりはなかったのに。
掴まれていた肩が痛いくらいに軋み、彼の手も自分と同じく震えていることを知った。
視線が交錯する。きっと、これが最後だ。分かっているからか、お互いを焼き付けるように見つめ合った。
穏やかなプラントの気候に似合わない、今日の天気。細かな水の粒が降り注ぎ、人工の霧雨で薄らと周囲は烟っている。僅かに肌を湿らせる程度の水分が徐々に雫となり、お互いの髪を濡らしては落ちていく。
私が大好きだった、貴方の煌めく白鋼。
貴方が綺麗だと言ってくれた、私の絹糸。
肩にあったイザークの手が、なまえの毛先の近くで彷徨っている。
緩く伸ばされた指先は、届く前にぐっと握りしめられた。もう、触れ合うことは叶わない。自分が望んでも、彼はそれを許さない。
「イザーク……」
自分の手の中で、まぁるい月がころころと遊んでいる。ねじ巻く月。イザークが初めてなまえにくれた、ただのオモチャ。
時間がないことは、よく分かっていた。徐々に近くに響きだしている足音に、彼も気付いていない筈がない。
「……お前は、死ぬなよ」
なまえがそれを彼に託すのと、イザークが自分の背を押したのは、ほぼ同時だった。
「行け!」
誰にも気づかれないように、ただお互いにだけ聞こえる声で。この先の道が交わることがなかったとしても、今、イザークはなまえを逃がしてくれた。
背中越しに感じた彼の触れ方はいつもと同じ丁寧な細やかさを残していて、それがひたすらに堪えていた悲しみの堰を切った。
走れ。振り向いてはいけない。
自分が決めた道なら、もう前を見て進むしかないのだから。
彼がいなければこうはならなかった。でも、出会わなければ良かったなんて、もう思えない。
それ程までに、なまえにとって彼の存在は大きくなっている。
どうか、願わくば。
淡く青みがかった黄色の球体が、自分の想いを伝えてくれますように。
これから自分は指名手配され、追われる人間になる。
なまえはひっそりと祈る。
祈りを胸に、涙を啜り、生まれて初めてという位に全力で走った。
水滴に紛れて、この痛みも涙も流れていってしまえばいいと思った。