最短距離でなまえの家へ向かっていた車は、今は別方向を走っている。街の明かりを受けながら、降谷はしばらく無言だった。
「僕が最初に言ったことは、覚えてるか?」
首都高のICに入ってから、彼は漸く口を開いた。暫く家に帰しては貰えなさそうだ。
「あそこまで分かっていたのに、分からないままにできると思ってたんですか?」
質問に質問で返す。
彼は、隠し切るつもりはなかったと思う。中途半端なまま目の前をちらつかせられたら気になって仕方がない。
「いや? みょうじなら気付けるだろうとは思ってた。だから言ったんだ」
風見との力関係は降谷が上なのは明白だった。
あんなに公安であることに誇りを持っている人が、降谷には従順。そんな降谷の名前は、公安部にも、警視庁の他のどの部署にも無かった。
疑問に思うな、と言う方が無理だ。調べれば、なまえなら辿り着けると思っていたなら尚更。
「……好奇心でこれ以上首を突っ込むな」
初めて降谷と会った時に言われた台詞は忘れていない。
あれは警告だったのか、忠告だったのか。呟いたなまえの声を聞いていたのか、降谷は呆れたように嘆息した。
「覚えてるんじゃないか。どうやった?」
「総務部の伝手で、降谷という人にお礼をしたいので部署を探している、と」
いつもより一段低くなった声に背筋がぞくりして、俯きながら白状する。何のことはない、簡単だった。
「正攻法だな」
総務部にはそれなりに知り合いがいたし、怪しまれるような不自然な頼み方もしていない。なまえは降谷の名字しか知らないが、珍しい部類の名字は特定するには容易に過ぎた。
ただ、止められていると分かっていたのに調べたことは、彼に対して後ろ暗さがあった。
「行動力の高さと人付き合いの良さは評価するよ」
「ありがとうございます」
「誉めてはない」
皮肉は受け止めると辛いだけだ、流すに限る。しれっと厚顔さを発揮してみるも、すぐさま落とされてしまった。
降谷は、この件に関しては手厳しい。
「どうして僕が探偵助手なんかやって、喫茶店でバイトしてるんだと思う?」
降谷の公安で人に暴かれたくない部分と、安室透のイメージは掛け離れている。華やかで柔らかで、人当りが良い彼はポアロの口コミに載ってしまう位に有名だ。
果たして、それは降谷にとって都合が良いのだろうか。
――そうだ、何故降谷はポアロにいる?
人に怪しまれないように、上手く懐に入れるように、好青年を演じていることは分かる。彼が公安刑事としての顔を隠すことも。
それならば、降谷が毛利探偵事務所とポアロに行く理由は何だ。そんな必要が、果たして降谷にあるのだろうか。
「君が知らない僕にとって、必要だからだ」
無言で思索に耽っていたなまえに、降谷はあっさりと答えを教えてくれた。とても簡単な、最低限だけの正解を。
「……安室さんの他に、まだ?」
その必要最低限の返答から、更に先を推し量ったなまえに、降谷はふっと笑っただけだった。
概ね満足したようだから、なまえの考えは的外れでもなかったのだろう。
「君が思ってる以上に、色々やってるってことさ」
彼は本当のことを多くは語らない。
核心に迫った時に余計なものを削ぎ落としたような会話にはピンと張った糸のように張詰めている。その緊張感やテンポの良いやり取りは嫌いではないし、織り混ぜられる彼らしさや優しさに心動かされることもある。
「ポアロに来るなとは言わないし、ゼロのことも仕方ないが……」
どちらも、本当はなまえでさえ止めた方がいいと思っていたことだ。恐らく彼は譲歩してくれている、それも、かなり。
「それ以上は、駄目だ」
明確に線を引かれた。
ここまではっきりとした拒絶は、安室は勿論、降谷からもなまえに対して示されたことがない。『それ』を知ろうとするな、と彼は戒めている。
今回は紛うことなく、警告だった。
「これ以上、何を躊躇っているんですか?」
――安室さんなら良くて、降谷さんさえ許してくれる貴方が。
口には出さなくても、彼には伝わっていただろう。
既に幾つかの殻を壊してなまえが立ち入った、殆どの人が知らない降谷の内側。誤魔化さずに内側を許してくれたとしても、まだ彼の全てではないのだ。
そして、彼の内側に入ろうとしていた自分に気が付く。そんなことをしては、いけないのに。
「信念の為に、とても正義とは言えないことをしている」
「降谷さん?」
公安の違法作業のことだろうか。
降谷や風見は公安刑事として、必要であれば法を犯すことさえ躊躇わない。特段変わったことでも、彼がこんなに苦々しい顔をする必要があるとも思えない。
横顔から、彼の葛藤を計り知ることはできなかった。
「……僕も、よく分からないんだ」
なまえに分かる筈がない。彼の分からないことの答えも、何が分からないかすらも。
立入禁止を言い渡された領域の内側には、いつも余裕綽々な彼にこんな表情をさせるものがある。眉を寄せている様を見るのは、少し辛い。
次のPAで停まるまで、彼はずっと無言だった。
「……私って、何なんですかね」
「庇護すべき対象だと思ってるよ」
奢ってくれた缶コーヒーと共に、彼はそう言ってくれた。