歩いて帰る想像に反して、案内されたのは近くの駐車場だった。
砂埃も付いていない綺麗に整えられた白いスポーツカー。助手席のドアを開いてくれた降谷に、なまえはお礼を言って乗り込んだ。
「ポアロ、車で来てるんですね」
思っていたよりもコンパクトな造りに、身体がシートに沈み込む。車の助手席なんて、どれだけ振りだろうか。
「乗りたい時に近くにないと困るじゃないか」
降谷も運転席に座ると、シートベルトを締める。
ごもっともである。公安関係で急ぎで動きたい時もあるだろう。
掛かったエンジンの音は思っていたよりも大きかった。運転手が良いのか車が良いのか、滑り出しは静かで乗り心地は悪くない。
「探偵助手とバイトのアラサーがお金使い過ぎじゃ……」
「それは言わないでくれ」
ほぼ完璧に擬態している安室の不自然さを指摘する。実際に三十間近の男が探偵とバイトをしていたら将来を心配もされるだろうに。
それを感じさせないのが安室の如才なさなのであって、車の不都合さにも目を瞑れと言いたいのだろう。
降谷が軽自動車に乗っていたら、それはそれで笑えるかもしれない。想像したら笑いがこみ上げてきて、車に関しては譲らないだろう降谷が可笑しくて、なまえは声を上げて笑った。
「女子高生じゃあるまいし、私独りでも帰れたのに」
ひとしきり笑うと、窓の外に目を向けた。
よく見知った道を走っている。これは、電話番号と同じように自宅も割れている。
「君とまともに話したこと、なかっただろ」
不用意に近付く発言に、心が身構える。
どうしてこの人は、仮にも異性に対して誤解を与えるような挙動を取るのだろうか。
「話すことあります?」
「……前から思ってたんだが、君は僕に辛辣過ぎやしないか?」
なまえの降谷に対する物言いは、風見に近いが、風見より遠い。
素っ気ない態度を取っている自覚はある。物理的な距離感を考えるならこれ位が妥当だろう。
「会わない方がいい癖に」
降谷の居場所は警視庁にないと、なまえは分かっている。本来の立ち位置も違うなまえとは交わらない人だ。
仕事上だって、降谷の部下を手伝うだけであって、彼に直接影響することはない。実際、霞が関でばったり会ったとして、降谷は素通りするか安室に徹するに決まっている。
「ん?」
「降谷さんは私に構い過ぎです」
「そうかな」
「そうですよ。コナン君だって言ってたでしょ、距離感」
ポアロで肝を冷やしたのは、つい先程のことだ。距離感が変わったと指摘したコナンに、自分は何か粗相をしたかとどきどきした。
変わったのは安室だと聞いた時の安堵と、やるせなさ。疎遠が前提である上司と部下の距離を、毎回測り直して微調整しているのはなまえの方だ。
「そうか。……そうだな」
「降谷さん?」
少し考え込んだ風の降谷の方を見る。
前を向いて運転しているのに、思考が何処かへ散らかっているような。暗がりの中に、車外の明かりに照らされる彼の横顔はやはり綺麗だった。
「いや、気を付けるよ。確かに分かってなかったかもしれない」
「……は?」
素直に非を認めた降谷に、呆気に取られた。どちらかと言えば、彼は仕事は完璧にしようとする人だと思う。
こんな初歩的なことを、小学生に言われるまで気が付いていなかったのか。
「僕も、事務職の女性の部下は初めてなんだよ」
女性刑事とは勝手が違うのは分かる。それを抜きにしても、降谷のなまえへの態度は、かなり気安い方だ。
「私、風見さんの部下で降谷さんの部下じゃないですよ」
引き抜いたのは降谷でも、配置は風見の下。ゼロの作業班の数人が降谷のことを知っていても、なまえの経緯は風見しか知らない。
「丸投げって訳にもいかないだろう?」
別の職場に放り込まれたって、仕事さえあれば何とかやっていける。喰らいついて、毎日こなしていく術は身に着いている。やはり降谷はなまえに過保護だ。
降谷は安室より柔らかくないし、人懐っこくもない。
鋭く尖っていて、厳しくて、でも仕事をきちんと評価してくれる人だ。優しさと気遣いを部下に――なまえに、掛けてくれる。
「律儀だなぁ」
こんな風に自分に接してくれる人に、呆れると同時に好ましいと思う。ただの店員と客の時には分かりようもなかった。
何も知らなかった時には戻れない。
あの時間はひたすら穏やかで、眩しくて、大好きだったけれど。
けれど、戻れなくてもいい。心は休まらないけれど、あの時とは違う今の二人の関係性も存外気に入っている。
「庁舎違うんだから、会うこともないのに」
「……みょうじ?」
安全運転だった降谷が、なまえの方を向いた。視線がすぐに前に戻されても、それだけで彼の動揺が知れた。
「私、まともに公安調べたの初めてだったんですけど、更に上があるんですね」
大したことはしていない。インターネットでちょっとばかりしつこく検索しただけだった。
就職試験を受けた時だって、採用ページしか確認しなかったのに。
さぁ、答え合わせをしよう。
安室の、降谷の――貴方の、本当の姿を。
「チヨダ? サクラ? 今はゼロ、でしたっけ」
警察庁警備局警備企画課。
任務は全国で行われる協力者運営の管理と、全国公安部作業班への指示と教育。項目を読んですぐに分かった。降谷と風見は、これだ。
「降谷さんは、警察庁の人なんでしょう?」
車のウインカーは、なまえの家とは真逆の方向を示していた。