「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます。また来て下さいね」
「はい、ぜひ」
支払を終えて、なまえは梓に挨拶をする。
来てもいいという言質は上司から直接取れたことだし、また常連に戻れそうだ。コナンと蘭のお蔭で人恋しさも紛れたし、お腹も心も満腹で心地いい。殊更、件の新作ケーキは最高に美味しかった。
「あ、なまえさん」
風見らにこき使われた疲労も何のその、とご機嫌だったなまえを、穏やかな声が現実に引き戻す。カウンターでサイフォンのコーヒーを攪拌していた安室が、こちらを覗いて笑っていた。
「僕、もう上がるんです。女性独りだと危ないですから、お送りしますよ」
「……大丈夫です、慣れた道ですから」
半月前までは何とも思わなかった、何の裏もなさそうな安室の笑顔が今は怖い。
なまえが降谷と会ったのも話したのもたかが知れていると言うのに、安室が完全な作り物だと分かってしまったのだ。
あの柔らかさも人懐こさも、降谷が降谷でいる時に顔を出したことがない。細やかな部分まで全く違うとは言わないが、やはり安室という好青年は本来ならばいないのだろう。
それを知ってしまった今、彼が笑顔の裏で何を考えているのか見当もつかない。
「いいじゃないですか、なまえさん。ついでに送ってもらっちゃえば! JKには要注意ですけどね」
「そうですよ。私達のせいで遅くなっちゃったみたいだし」
ぶらぶら買い物をした後で、ポアロに来た時点でもう七時は回っていた。そこから小一時間、食事と取り止めのない会話を楽しんでいたから、陽はとっくの昔に暮れている。ただ、未成年でもあるまいし、この時間に外を歩かない訳でもない。
「あはは……」
「このコーヒーで最後ですから、少し待って下さいね」
この男と二人っきりで密室に行きたくない。
拒否したい明確な理由は言えず、残念ながら安室ファンのJKは店内にはいない。更には梓と蘭の援護射撃まで来るものだから、苦笑いするしかなかった。
微笑みを深くして駄目押してきた安室に、なまえは仕方なしに頷いた。
「分かりました、お言葉に甘えます」
「ご遠慮なく」
本当に警官かと突っ込みたくなる程手際よくフラスコを外し、彼は暖めてあったカップに注いでいる。出来上がったコーヒーはすぐに梓が客の元へ運んで行った。
(ほんと、よく分からない人だ)
人の邪魔にならないように端に避けながら、安室の片付ける様を観察する。ロートやフラスコを洗い、フィルターを専用の入物に保管する。一連の作業が澱みなく行われていき、少し前にバイトに入ったとは思えない。見てくれがいいとタッパーを冷蔵庫に入れるだけでも様になるのか、等と馬鹿げたことを考えながら。
「蘭ちゃん、私は大丈夫だよ。コナン君も遅くなるし、もう上がって?」
小学一年生なら、そろそろ寝る支度をしなければならない筈だ。気遣って声を掛けた、なまえに、蘭は申し訳なさそうに会釈した。
「安室さんが送ってくれるなら安心ですね。おやすみなさい」
「おやすみ。今日はありがとう。コナン君も、またね」
「バイバイ、なまえさん」
ひらひらと手を振って、階段を上がっていく二人を見送る。エプロンを外して帰り支度の終わった安室がカウンターの向こうから出てくるのも、ほぼ同時だった。
「お待たせしました。行きましょうか」
「ご面倒お掛けします」
二人並んでポアロのドアを押すと、来た時と同じ涼やかなベルの音がした。