風見に言われた調べものは定時ギリギリで仕上がった。
時間ピッタリに失礼してもよろしいですか、と聞くと風見は時計を見て驚いていた。この人は定時が何時なのか知らないんじゃないかとさえ思った。
(疲れた……)
公安に来て以来、風見ら降谷配下の公安刑事達の仕事面での負担は多分減ったのだろう。
あれやこれやそれ、全部頼んでいいのだと気付いた時の彼らの喜びと言ったら、ちょっと面白い位だった。その分、なまえの仕事量は用度課の比ではなく日々倍増の勢いで積み上がっていく。
今週に入って定時で帰れたのは初めてだった。今日が金曜日であることは、深く考えてはいけない。
(月曜は風見さんの経費申請と、捜査資料の清書と、報告書出しに回って……)
今日やり残してきた仕事のことを考えながらいつも通りの帰路につく。久々の定時に、好きなショップに顔を出す最中、ふとこの道を曲がればポアロへ行くことに気が付いた。
ポアロのコーヒーが飲みたい。
ふかふかのハムサンドが食べたい。
そうしたら、後は幸せな気分だけ持って、帰って寝るだけなのに。とびきり疲れた時はご褒美で通ったものだけれど、果たして今はどうだろうか。
(駄目だよね、多分)
秀麗な美貌の上司の顔を思い出して、なまえは絶対無理だと即座に諦めた。一瞬立ち止まったものの、またのろのろと歩き出す。ああ、ハムサンドが恋しい。
断じて、安室が恋しい訳ではない。誰に咎められるでもないのに、なまえは自分に言い訳をした。
「あれー、なまえさんだ!」
突然大きな声で名前を呼ばれ、びくっと肩が揺れる。首だけで後ろを向くと、ポアロで見知った女子高生と小学生がいた。
「こら、コナン君。人を指差さないの!」
「蘭ちゃん、とコナン……君?」
ポアロの上階の探偵事務所のお嬢さんと、居候の少年だ。
彼らもなまえ以上の常連客で、それなりに会う回数に比例して親交を結んでいた。何せこの二人、こちらが心配になる位に人懐っこい。
「こんばんは、久し振りだね」
少し屈んでコナンと目線を合わせると、頭を軽く二、三度叩いた。
わざとらしい位に子どもっぽい時とびっくりする位大人っぽい時が混在する少年は、今はなまえの手の柔らかさを受けてくれていた。
「お久し振りです! 最近お忙しかったんですか?」
「うん、そうだね。ちょっと……」
立ち上がって蘭に目線を向けると、とびきりの笑顔。可愛いくて、元気までくれて、女子高生の若さといったら眩しくて仕方がない。
反面、くたびれた自分に落ち込みながら、濁すように苦笑した。まさか、安室さんに脅されて部署異動になった挙句ポアロには行きづらくなりました、と本当のことが言える訳もない。
「ねぇねぇ、なまえさん。僕たちこれからポアロにご飯食べに行くんだ。一緒に行かない?」
「ポアロに?」
「私たちこれから帰るんです。遅くなっちゃったから、ポアロでご飯食べていこうかって。ね、コナン君?」
丁度行きたいと思っていた、断念したばかりの魅力的な提案ではあった。しかし、上司の上司が何て言うか。きっと口では何も言わずに笑顔で、何しに来たとプレッシャーを掛けてくるに違いない。
顔を見ただけで公安に飛ばすような理不尽な御仁だ、わざわざ潜入先に突入なんて怖くて想像もできない。
「うん! 安室さん、美味しい新作ケーキ作ってたよ?」
「うぅ、それは気になる……!」
なまえとしては是非お伺いしたい。
ずっとポアロのコーヒーとハムサンドが食べたいと考えていたというのに、その上新作ケーキまで。安室のケーキなら絶対美味しい、間違いないに決まっている。
「ダメ?」
「う、う~ん……」
小首を傾げて見せるコナンは年相応に可愛くも、あざとくも見える。
ポアロに行くのは良くない、けれど、ここまで頑なに拒むのもおかしいのではないか。下手に拒絶して取り繕えなくなるよりはマシなのではないかとさえ思えてくる。
「それとも、何か都合が悪いの?」
「えっ?」
子供っぽさの陰から覗かせる鋭い目つきに、暴かれるような気がした。駄目だ、このままじゃ誤魔化し切れない。
「何もないよ、大丈夫」
最早自分より余程優秀な安室のスルー能力に頼るしかない。なまえは諦めて、コナンに微苦笑した。