fragrance

 自席に着いた時、いつもとは違う何かに首を傾げた。暫く登庁しなかった間に変わったのは何か。
 
「おはようございます。今日はこちらですか」
 
 要因を探るように辺りを見回した降谷に、隣のデスクの補佐が声を掛けてくる。鞄を机の下に雑に放り込み、椅子に座ると、彼女は落ちた髪の一束を何気なく掬い上げた。ふわりと花のような匂いが強く香る。
 
「おはよう。……ああ、君か」
 
 初めて嗅ぐ馨りだった。甘くて濃い百合のような、しかし何処かわざとらしくて人工的ですらある。いつもの彼女が纏うものではなく、自分の感じた違和感の正体を知る。名指しされた方は、自分が何かしたかと言わんばかりに怪訝そうに眉を顰めていた。
 
「花の匂いがする」
「あぁ!」
 
 一瞬の間を以って、降谷の言に合点が行ったらしい。声を上げると、自分の髪の一房を指で摘み上げて匂いを嗅いでいる。
 
「昨日入浴剤を使って、そのまま髪を洗ったので。真水ですすぐの忘れたんですよね」
 
 アロマと銘打ったのなら、さぞかし芳しいものだっただろう。普段使い慣れないものを使った上にシャワーで流し損ねた、と。つまり、入浴剤の残り香だったのだ。
 
「香りは残るぞ。気を付けろ」
 
 人間の嗅覚は馬鹿にできない。現に降谷が気付いたように、香りは人の記憶にも残る。捜査員に移るのは、職務が職務なだけに好ましくはない。
 
「すみません。明日には消えます」
 
 正論を吐いた降谷に彼女もまた、ばか正直な位に素直に頭を下げた。今晩入浴すれば、この馨りも立ちどころに消えてしまうのだろう。
 
「今度の休みに、またやってくれ」
 
 それを、惜しいと思ってしまった。衝動的な希望を口にする。
 
「は?」
 
 顔を上げながら、とても上司に向けたものではない乱雑な言葉がなまえの口から零れてくる。胡乱な目付きが自分を見上げている。これは、補佐の時の表情ではない。
 
「降谷さん?」
「嫌いじゃない。その匂い」
 
 シャンプーのような、微かにに残るものではない。強く香り立つそれを自分好みにしておきたいなんて、とんだ独占欲だ。例え、一緒にいる間だけの、短い時間だったとしても。
 
「……そういうのは、休み取ってから言って」
 
 完全に場所を弁えない、公私混同した発言。なまえは色々な意味で不服そうに口を尖らせた。
 
「善処するよ」
 
 今度は自分の耳が痛い。苦笑を漏らすと、彼女は彼女で呆れたように微笑んでくれた。